たゆたう小瓶の中の手紙
2006年6月22日 スタンスそう これがインターネットの正体さ
その構造はアインシュタインの「閉じた宇宙」に似て有限ではあるが果てはない
目的地をしっかり認識していかないと永遠に流される事になるぞ
(AIが止まらない!より)
10000HITありがとうございます。
元々…この日記は誰かに見られるという事を意識した物ではありませんでした。
それは、果ての無い電子世界の海に小瓶に入れた手紙を流すようなもの。
運良く誰かがそれをみつけ、
あるいは運が悪く誰がかがそれを見つけてしまったとしても
その手紙に「助けて」と書かれていた所で
もう…書いた本人は孤島のどこかで
餓死あるいは脱水症状で動かぬ人となっているでしょう。
まるで、意味の無い手紙。
それでも…手紙を流し続けるのは
救いを求めてるのではなくて
それ自体がもう無償で見返りを求めない祈りになっているのかもしれません。
自分にはそんなつもりはあまりありませんけど。
ただ、そのどこにも辿り着かないかもしれなくても
自分の中の何かを吐き出してしまうことに
なんだがのレスポンスを欲していた事はあるでしょう。
本当に、誰にも見せないなら
千切れた紙片の片隅にでも書き連ねて
厳重にしまっておけばいいだけでの事ですから。
というわけでこの日記はあまりおおっぴらにしてないにもかかわらず
見に来てくださっているみなさん、ありがとうございます。
実際知人でも知ってる人は結構少ないですからね。
とくに知られちゃまずい女の子もいるわけですしw
本当に、元々はヒミツ機能を使わなくても
存在そのものがヒミツだったのですがね。
だからこの日記については、これはこれからもですが
こっちからリンクをする事はしません。
ただ、する分には構いませんので奇特な方がいれば是非どうぞ。
今思えば、ヒミツというの名の押入れの紙束から
読まれることをある程度意識した「日記」というものになって
それがそのままモチーベションになった部分もあると思います。
その割に不定期更新がいかんともしがたいわけですがw
御礼については、本当はもっと早く言うべきでしたし
そうしようとは思っていたのですが
先日の日記に書いた通りちょっとゴタゴタがありまして
こんなにも遅くなってしまいました。
それで…10000HITというこの場を借りまして言っておきたい事があります。
これはもうずっとずっとずっと気になってた事なんです。
…えっと、言い訳ですけど。この場におよんで。
今までの文章のほとんどにですます体とである体が混合されますが
これはこれからもこのままのスタンスで行っちゃおうかな、って事です。
自分は小説とかが好きなので基本はだである体の方が好きなんです。
(性格に言えば「である」は好きじゃないけど「だ」は好きなんですが)
ただ、意見などを書く時にだである体では
どうしても押しつけのように感じてしまう部分があったので
話言葉に似せて書くというまぁなんだかな的方法を取ってました。
また、ですますだとまどろっこしすぎるなと思った時には
だである体をむりやり砕いて使ってました。ほんと邪道ですが。
でも見直すと混合が気になって…
これはメモ帖で打ってるのですが
最後にwordに移して体のチェックとかもやってました。
それでも、統一する事より印象を優先させてました。はっきりいって。
それを、これからはここに宣言する事によって
免罪符にさせてくださいお願いしますと言ってみます。
技量を棚に上げてっていう事は十分分かってるんですけどね。ごめんなさい。
月並ですが10000HITを踏んだ方には
何かしらできたらいいかなぁとか思います。
踏んだ人がもしいたらやって欲しい事でもコメントしてください。
自分にできうる範囲の事でしたらやっちゃいますよ。
あと…ネタが全然ないからそれも募集してみようかなぁ。
身の程知らずという言葉が浮かんできますけど。
どうも、みなさん、ありがとうございました。
…なんて言うと終わりそうな勢いですが
いちおまだまだ続く予定ですw 惰性のままにねw
(引用が漫画ってどーなの?)
(え、だって俺ってもともとたいした人間じゃないし。お似合いじゃん)
P.S. もともと日記のタイトルは今回のタイトルにしようかなと思ってたんですが
小瓶の中の手紙って普通は海に浮かんでるのを想像するかなって事で
無駄なものは省きました。うーんほんとどうでもいい話ですねw
その構造はアインシュタインの「閉じた宇宙」に似て有限ではあるが果てはない
目的地をしっかり認識していかないと永遠に流される事になるぞ
(AIが止まらない!より)
10000HITありがとうございます。
元々…この日記は誰かに見られるという事を意識した物ではありませんでした。
それは、果ての無い電子世界の海に小瓶に入れた手紙を流すようなもの。
運良く誰かがそれをみつけ、
あるいは運が悪く誰がかがそれを見つけてしまったとしても
その手紙に「助けて」と書かれていた所で
もう…書いた本人は孤島のどこかで
餓死あるいは脱水症状で動かぬ人となっているでしょう。
まるで、意味の無い手紙。
それでも…手紙を流し続けるのは
救いを求めてるのではなくて
それ自体がもう無償で見返りを求めない祈りになっているのかもしれません。
自分にはそんなつもりはあまりありませんけど。
ただ、そのどこにも辿り着かないかもしれなくても
自分の中の何かを吐き出してしまうことに
なんだがのレスポンスを欲していた事はあるでしょう。
本当に、誰にも見せないなら
千切れた紙片の片隅にでも書き連ねて
厳重にしまっておけばいいだけでの事ですから。
というわけでこの日記はあまりおおっぴらにしてないにもかかわらず
見に来てくださっているみなさん、ありがとうございます。
実際知人でも知ってる人は結構少ないですからね。
とくに知られちゃまずい女の子もいるわけですしw
本当に、元々はヒミツ機能を使わなくても
存在そのものがヒミツだったのですがね。
だからこの日記については、これはこれからもですが
こっちからリンクをする事はしません。
ただ、する分には構いませんので奇特な方がいれば是非どうぞ。
今思えば、ヒミツというの名の押入れの紙束から
読まれることをある程度意識した「日記」というものになって
それがそのままモチーベションになった部分もあると思います。
その割に不定期更新がいかんともしがたいわけですがw
御礼については、本当はもっと早く言うべきでしたし
そうしようとは思っていたのですが
先日の日記に書いた通りちょっとゴタゴタがありまして
こんなにも遅くなってしまいました。
それで…10000HITというこの場を借りまして言っておきたい事があります。
これはもうずっとずっとずっと気になってた事なんです。
…えっと、言い訳ですけど。この場におよんで。
今までの文章のほとんどにですます体とである体が混合されますが
これはこれからもこのままのスタンスで行っちゃおうかな、って事です。
自分は小説とかが好きなので基本はだである体の方が好きなんです。
(性格に言えば「である」は好きじゃないけど「だ」は好きなんですが)
ただ、意見などを書く時にだである体では
どうしても押しつけのように感じてしまう部分があったので
話言葉に似せて書くというまぁなんだかな的方法を取ってました。
また、ですますだとまどろっこしすぎるなと思った時には
だである体をむりやり砕いて使ってました。ほんと邪道ですが。
でも見直すと混合が気になって…
これはメモ帖で打ってるのですが
最後にwordに移して体のチェックとかもやってました。
それでも、統一する事より印象を優先させてました。はっきりいって。
それを、これからはここに宣言する事によって
免罪符にさせてくださいお願いしますと言ってみます。
技量を棚に上げてっていう事は十分分かってるんですけどね。ごめんなさい。
月並ですが10000HITを踏んだ方には
何かしらできたらいいかなぁとか思います。
踏んだ人がもしいたらやって欲しい事でもコメントしてください。
自分にできうる範囲の事でしたらやっちゃいますよ。
あと…ネタが全然ないからそれも募集してみようかなぁ。
身の程知らずという言葉が浮かんできますけど。
どうも、みなさん、ありがとうございました。
…なんて言うと終わりそうな勢いですが
いちおまだまだ続く予定ですw 惰性のままにねw
(引用が漫画ってどーなの?)
(え、だって俺ってもともとたいした人間じゃないし。お似合いじゃん)
P.S. もともと日記のタイトルは今回のタイトルにしようかなと思ってたんですが
小瓶の中の手紙って普通は海に浮かんでるのを想像するかなって事で
無駄なものは省きました。うーんほんとどうでもいい話ですねw
句読点(など)の使い方
2005年12月8日 スタンス句読点の付け方にはそもそも明確な決まりがありません。
意味の切れ目にとか接続詞のあととか言われますが
極論としては表現方法に含めてしまって構わないものだと思います。
句読点を付けてない長文も一気に読ませるという技法である事もあります。
得にこの様な日記という表現方法では小説・論文などに比べ
ある程度の自由が許される物ではないでしょうか。
横書きの表記では「,」および「。」を用いるのが正しいという話もありますが、
これは昭和27年に内閣官房長官名で出された「公用文作成の要領」
(昭和27年4月4日付け内閣閣甲第16号内閣官房長官依命通知)
「第3 書き方」によるもので、
小学校では円周率は「3」とすると同じ事で別に正解というわけではありません。
自分が「、」を使っているのはなんかすっきりしているからというだけです。
あと、「,」だと記号自体に接続の概念があるような気がするからです。
「…」もホントは「……」と書くのが正しいんです。
これも自分が「…」を使うのはすっきりしているからです。
たまに「……」を使うときもありますが、
それは自分が「…」よりも深い表現の「…」として「……」を使っています。
「、、、」 なんて人によっては誤用で見ると吐き気がすると思うかも知れませんが
自分は表現としては使って構わないと思います。
ちなみにこの日記の「…」は主に「余韻」の表現として利用しています。
(あとは「省略」が多いです)
「、、、」 は前使ったと思いますが「長いタメ」を表現したもので
自分に取っては若干ニュアンスが違うものなんです。
段落の初めに1文字下げてないし、改行のタイミングも本来の物ではありません。
改行に「、」を含めている事も多々あります。
自分に取って「、」は「タメ」であまり使わない方が好きなので。
語順をしっかりと書けば「、」はあまり使わなくても済む物なのですが
表現としての語順と意味の通じやすい語順には相違があるので難しいです。
また、バランスを考えて文章が複数行に分かれ
最後が数文字で終わるときは長さが同じになりつつ単語、文を切ってしまわない所で改行しています。
ここでいうバランスとは文章の絵的な形状であり、
文の内容と関係有る物ではありません。
それが良い事か悪い事かといえば単に文章と見れば悪いのでしょうが
読みやすさ、と言うものを考えたときにはそれほど悪い事では無いと思います。
これは自分が使っている「文字のサイズ」が「中」に対応したものですので
他のサイズでご覧になっている方がいればかなり変に見えてしまうでしょう。
複数行に渡る文章でもそのタイミングで改行していない時もありますが
忘れているかめんどくさいか改行すると「流れ」が途切れてしまうからか
改行するともっとバランスが変になるからです。
DNだと入力する時の行の文字数と表記される行の文字数が若干違うので
一度書き終わってから若干調整するのですが
その時に自分が変だな、と感じた所はいじっています。
(最近はメモ帳で打っていますがその場合はホント調整がめんどいので…)
行開けも基本1行開け、場合によってはもっと開けていますが
内容だけでなくバランスも考えて開けているので
意味がある程度繋がっていても行数が多いときには開ける事もあります。
数行開ける時はそれよりも受ける印象はどうかと言う事を主に考えています。
以上のようにこの日記の句読点・記号・改行・行開けなどの使い方は
自分が読み直したときにこっちの方がいいなとなんとなく思っているだけで
正しいと呼べるものではありません。
自分の感性に基づいて書いています。基本にあるのは話し言葉です。
つまり、長々と書きましたが何を言いたいかというと。
人によってはめちゃめちゃに見えるかもしれないけど許してね。てへ。ってことで。
P.S. あと、「〜だけど」や「〜ですが」というのを「相反」ではなく「前提」で使ってしまっている事が多いです。
これは直したいんだけど気付けば使ってしまっているんだよなぁ…
こうは言いましたけど書き方でなんかあからさまにおかしい所がありましたら突っ込んでくださいね。コメントも実装された事ですし。
意味の切れ目にとか接続詞のあととか言われますが
極論としては表現方法に含めてしまって構わないものだと思います。
句読点を付けてない長文も一気に読ませるという技法である事もあります。
得にこの様な日記という表現方法では小説・論文などに比べ
ある程度の自由が許される物ではないでしょうか。
横書きの表記では「,」および「。」を用いるのが正しいという話もありますが、
これは昭和27年に内閣官房長官名で出された「公用文作成の要領」
(昭和27年4月4日付け内閣閣甲第16号内閣官房長官依命通知)
「第3 書き方」によるもので、
小学校では円周率は「3」とすると同じ事で別に正解というわけではありません。
自分が「、」を使っているのはなんかすっきりしているからというだけです。
あと、「,」だと記号自体に接続の概念があるような気がするからです。
「…」もホントは「……」と書くのが正しいんです。
これも自分が「…」を使うのはすっきりしているからです。
たまに「……」を使うときもありますが、
それは自分が「…」よりも深い表現の「…」として「……」を使っています。
「、、、」 なんて人によっては誤用で見ると吐き気がすると思うかも知れませんが
自分は表現としては使って構わないと思います。
ちなみにこの日記の「…」は主に「余韻」の表現として利用しています。
(あとは「省略」が多いです)
「、、、」 は前使ったと思いますが「長いタメ」を表現したもので
自分に取っては若干ニュアンスが違うものなんです。
段落の初めに1文字下げてないし、改行のタイミングも本来の物ではありません。
改行に「、」を含めている事も多々あります。
自分に取って「、」は「タメ」であまり使わない方が好きなので。
語順をしっかりと書けば「、」はあまり使わなくても済む物なのですが
表現としての語順と意味の通じやすい語順には相違があるので難しいです。
また、バランスを考えて文章が複数行に分かれ
最後が数文字で終わるときは長さが同じになりつつ単語、文を切ってしまわない所で改行しています。
ここでいうバランスとは文章の絵的な形状であり、
文の内容と関係有る物ではありません。
それが良い事か悪い事かといえば単に文章と見れば悪いのでしょうが
読みやすさ、と言うものを考えたときにはそれほど悪い事では無いと思います。
これは自分が使っている「文字のサイズ」が「中」に対応したものですので
他のサイズでご覧になっている方がいればかなり変に見えてしまうでしょう。
複数行に渡る文章でもそのタイミングで改行していない時もありますが
忘れているかめんどくさいか改行すると「流れ」が途切れてしまうからか
改行するともっとバランスが変になるからです。
DNだと入力する時の行の文字数と表記される行の文字数が若干違うので
一度書き終わってから若干調整するのですが
その時に自分が変だな、と感じた所はいじっています。
(最近はメモ帳で打っていますがその場合はホント調整がめんどいので…)
行開けも基本1行開け、場合によってはもっと開けていますが
内容だけでなくバランスも考えて開けているので
意味がある程度繋がっていても行数が多いときには開ける事もあります。
数行開ける時はそれよりも受ける印象はどうかと言う事を主に考えています。
以上のようにこの日記の句読点・記号・改行・行開けなどの使い方は
自分が読み直したときにこっちの方がいいなとなんとなく思っているだけで
正しいと呼べるものではありません。
自分の感性に基づいて書いています。基本にあるのは話し言葉です。
つまり、長々と書きましたが何を言いたいかというと。
人によってはめちゃめちゃに見えるかもしれないけど許してね。てへ。ってことで。
P.S. あと、「〜だけど」や「〜ですが」というのを「相反」ではなく「前提」で使ってしまっている事が多いです。
これは直したいんだけど気付けば使ってしまっているんだよなぁ…
こうは言いましたけど書き方でなんかあからさまにおかしい所がありましたら突っ込んでくださいね。コメントも実装された事ですし。