BLUE MOON BLUE

2008年4月2日 駄文
時間が痛みを薄れさせるというのを実感したのは女の子になった時だった。
廻り来る青い周期は鈍く痛み、そして何も残さずに消えていく。
それがどこか大切なもののように思えるのは生命の源泉に繋がっているからなんだろうか。

でも、現実はもっともっと刹那的でそんなことよりも
お笑い芸人のリアクション一つの方がよっぽど心を動かすのだろう。
一瞬のきらめき…とまではいかないか。それでも、他愛も無い笑いは心が軽くなる。
猫の鳴き声でも笑えたあの頃が懐かしくなる。

それは、笑いと痛みという対極とでもいうべき違いもある。
誰だって笑っていたいに違いない。
痛い事に快楽を感じる倒錯した人もるようだけど
それだって何かが付随しているからこそで痛みが主軸ではないのだろうと思う。
あの子もホントウに独りなら手首切りはしなかったから。

笑いはモーションでもキーワードでも簡単に分かる(ような気がする)のに
痛みはなんでちっともなんだかわからないだろう。
分からない言語での必死の叫びのような。

だから、私は、痛みを大切に取っておきたい、と思うのだ。

痛むたびに、名前を付けた。
痛むたびに、オブジェを置いた。

何時しか私の部屋は女の子っぽい見かけとは裏腹に激痛の間に変わっていた。
このぬいぐるみも、ピアスも、香水も全てが何かの痛みの残滓だ。

だから、彼が死んだ。

テレビの中の戦争という言葉がいつから言われたのかしらないけど
その中の世界はほんとうに遠い世界の出来事で痛みを感じることなんてなかった。

痛みに取り憑かれた私に本当の痛みを教えようとした彼は何時の間にか兵士になっていた。
私を救いたいと言い残して。私なんかのために。

それでも彼が伝えてくるゲリラに混じりながらの殺し合いでも
私にとってはテレビの中の事に過ぎなかったんだ。
膿んで痛む傷も苦しいほどの空腹も目の前で飛び散った仲間の脾臓も。

最期は、とても簡単に終わってしまったらしい。
砲撃で片腕を亡くしそのまま特攻しても装甲車には何の傷も付かなかったんだって。
テレビが伝えた戦死者数十名の中の1が、彼の全てだ。

痛みとか、よく分からなかった。
私は名前を付けるのを忘れた。

少しして、彼の腕だったものが送られてきた。
焼かれたそれは白くて無機質で、人という形からはあまりにもかけ離れている気がした。

乱暴に扱われたのだろう、所々砕けて欠けたそれは名前の無いオブジェ。
生命の末端。繋がりは断たれている。
私の部屋が静まり返った。全てが吸い込まれたように。

私は残骸を箱に戻した。青い風が、私の中を通り抜けた。

光が失われた頃、私は指をゆっくり折った。近づける日を数えるように。
ぼーっと見ていたテレビが音楽を流しだす。
以前なら砂嵐しか流れなかった時間。
動物の映像やPVが流れるようになったのはいつからだろう。

名前も知らないアーティストのラップだ。

モンスターペアレントって言葉最近良く聞くね。

ちょっと前に話題になった給食費未納問題ですが
それ以外にも近年の学校を取り巻く親御さんの話には事欠きません。

授業中立ってた子供を注意したら
職員室に乗り込んできて延々と説教。

教員の自宅にまで延々と数時間電話。

…。

学校に対して自己中心的で理不尽な要求を繰り返す保護者の事です。

学級崩壊の原因は子供ではなく親にこそあるんじゃないですかね。
自分が例の小売で働いてた時の話ですがすごいクレームがありました。

ガチャガチャ知ってます? 100円入れて回すとカプセルが出てくるの。

「写真の絵と違う商品が出てきた(所謂ハズレですね)。子供が泣いている、
どうしてくれるんだ!」

…どこの既知外?

しかもこれが両親揃ってだったんですけど。
まぁまともな人とおかしな人じゃ生活できないでしょうからそれは当然なのかな。

自分は既知外さんとどうやって会話したらいいか分からなかったし
担当でも無かったんで担当の人に振りましたが。

モンスターペアレントが増え始めたのは1990年代後半からと言われていますが
どうも最近特に増えている気がします。

で、ずっと何でだろうって思ってたんですけどやっと答えが分かりました。

価値観の多様化。
生物から大きく乖離した人間って種にとっては
子を産み育む事もその他多くのいわば趣味と並列でしかないわけです。

行き過ぎた資本主義が
金という物差しで全てを図ることを許したから
とか一瞬思いましたがそんな事は別に関係ないんでしょう。

現実問題として仕事に打ち込んでる人は
「結婚? 子育て? そんな暇ねーし自分を高める方がいい」
なんて事になっているわけです。

そこまでじゃなくても
こんな世界に産み落とすことを真剣に考えてしまったり。

もっと軽い話でも
それからの人生設計くらいは考えているもんだったんです。
…少し前までは。

生命の神秘なんて言われますけど
そこを紐解いてみれば突っ込んで吐き出すだけの事ですよね。
神秘さなんて微塵もない…ってのは男の考え方なんでしょうけどね。
自分以外のモノを体内に受け入れて
鼓動を感じる女の子っていうのはまた違う感想をもつのかもしれないけど。

そのラップじゃ言ってた。
ガキが子供産み育てる、なんて。

ほとんどがはずみなんだろうと思う。
まぁ、言いすぎだとしても、そういうのが増えてるのは間違いないでしょう。

アレばっかが産んでまとまなやつが産まないんだから
子供だってアレばっかなんだろうさ。極論的にはね。

神秘ってこんなにも陳腐で。

望まないのに産み落とされた。
呪詛を吐いてもいいですか?

育ててくれた事は感謝しないでもないけれど。

世界はこんなに明るいのに。
 
 
P.S. 突貫工事。シレンが忙しすぎます。
いつもよりはやーい目覚めでした。

早起きは3文の得なんて言うけど得られたのは気だるさだけ。
そろそろ僕も夢と理想は過ぎたお年頃なんで実利が欲しいんです。

だからいつもならバスを使うところを無理やり歩いてみました。
貨幣価値は置いといて210円なんて3文より全然お得ですし。
自分を騙してるだけなんですけどね。
今ならこちらのピューラーもお付けして10000円ですよ!
いやいや、うぉーきんグー!は健康にもグー!ですしね。
そして騙される僕がいるわけで。

歩きながら考える事は
もちろん国民的アニメと称されるドラえもんについてです。
その知名度は日本全土遍く響き渡っているそうです。
聞けば、首相の名前は知らない人でもドラえもんは知っているとか。
(調査対象:しょうた君 5歳)
これは由々しき問題ですよ。
だってあのキャラクターは
あんなデップリ太っててどざえもんみたいに真っ青なんですよ。
なんで人気があるんでしょうか。
なにしろあのアニメには大きな問題点があります。
それを差し置いて国民的アニメなんて言語道断ですよ。

それは、あまりに現実と乖離しているということです。

東京のど真ん中に土管が置いてある空き地なんて
ないじゃないですか!

これは大きな問題ですよ。
サザエさんが歳をとらないなんて非じゃありません。
さらに言えば
キテレツ大百科に出てくる発明が非現実的すぎる事すら比較になりません。

僕が溢れる正義心から重大なマスコミのマスコンについて怒りを覚えていると
いつの間にか知らない場所を歩いていました。

ふと、横に目をみやると…

前言撤回。

なんと空き地があったんです!(土管つき)

いや、空き地ですよ?(あと、土管)
おかしくないですか?(どう? 同感?)
僕が鈍かっただけですか?(それは鈍…)

僕はなんだか懐かしくなって、
ほんとはちっともそんな記憶はないんだけど
植えつけられたアニメの世界観で懐かしくなって、
土管に入ってみようとしました。

手を入れかけた所で引き止められるような声が聞こえます。
このまま土管に入っていいのだろうか、と。

それはきっとどこか建てられたばっかりの
東京タワーを見つめたあの頃の気持ちと同じで
(当時僕は3歳でした)
記憶の中にあるからこそ大事なものなんじゃないかと。

でも、僕はあっさりそれを振り切ります。
だって、夢と理想は過ぎたお年頃なんです。

なのに、体が前に進みません。
なんででしょう。
心のどこかで僕の行動を拒んでいるのかもしれません。

落ち着いて、深呼吸してもう一度入ろうと試みました。
でも、体はやっぱり前には進みません。

だって、その土管とっても小さいんですもの。

そうです、それはたがだかアニメと同じくらい些細な事でしかないんです。

実はその空き地で一番注目すべきなのは朽ちてぼろぼろになっている掲示板です。
(あと、土管)

緑色が剥げまくった掲示板には2枚のポスターが貼られていました。
その2枚のポスターの上には「防火週間」と書かれた紙が張ってあります。

まず、左のポスターを見てみます。
クレヨン書きでお世辞にも上手とは言えない人影が書いてあります。
よくみると、それは海水パンツ姿の人のようでした。
なんで防火週間で海の、しいて言えば海難事故防止?
のような絵が書いているんでしょう。

オッパッピー

追 払 火

ポスターの文字にはそう書いてあります。

お笑いか!

微妙な好奇心を抑えられないまま、今度は右のポスターを見てみます。
それはCGで作られたポスターで、どこかで見たことのあるような
緑色の髪の女の子が書かれています。
目元にはまるで週刊誌の写真のように黒線が引かれています。

萌えてもいいけど燃えないで!

ポスターの文字にはそう書いてあります。

…。

1枚目で微妙に期待させた挙句これですか。
萌えと燃えの掛けなんてもはや誰も使いませんよ。
むしろ言いたい、お前はポスターにみっくみくを書きたかっただけなんじゃないかと。

あまりの事に打ちひしがれてしまった僕はそのまま家路へ付きました。

土管だと思っていたものは実は水道管でした。
世の中なんてこんなにも残酷なんです。

疲れたときは寝るのが一番です。
やっぱり早起きなんてしなかれば良かった。
こんな結果になるんだったら暖かい布団に包まっていれば良かったんです。
3文の元を取ろうとした僕が間違いでした。

しかし、なにか引っかかる事があります。
なかなか眠れそうにありません。

あ、ご飯を食べていませんでした。
そのまま寝ようとも思いましたが急におなかが鳴り出したので
諦めて何か食べることにします。
体の正直さには逆らえません。

精神的疲労の回復を図った温かい五穀粥を食べました。

それでも、まだ引っかかった感覚が消えません。

再度布団に包まった時にやっと気づきました。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

初○ミクは… ボーカ ロイド じゃねーーーーか!!

僕はやっと元気になりました。
貧乏暇なしなんて嘘っぱちだ。
暇だから貧乏なんだ。

「さぁ、今日はなにをしよう?」

瞑想で時間を潰す霞の中の達人でもないならば
何をするにもお金なんて減っていくばかりだから。

この世界で生きていくのにはお金が必要で
大体の人っていうのは時間をお金に変えていくわけで
それがこの世界のルールではあるんだろう。

時間っていうのはみんなに等しく与えられる物なんて誰かが言ってたけど
それをどう使うか、使わざるを得ないかなんてのは全然平等じゃなくて
仕事が忙しくて全然自分の時間が取れないって人もいれば
毎日ぐーたら親の脛をぱくぱくしてる人もいるよね。

英国じゃ「オプト・アウト」って働き手が同意すれば
労働時間規制の対象外にできる契約制度が広がっているそうなんですが

その中で日本で言えば所謂「勝ち組」の人の話が新聞に載ってたんだけど
月収は税込みで約75万円。(あまり多くないって突っ込んじゃ駄目よ、恵まれた方)
1歳の子供を手厚く世話することで評判の私立保育園に通わせてるから
月額約30万円が保育料に消えるんだって。
「ノルマをひとつこなしたら次のノルマ。つらいと思うことはあるが、生活レベルを維持するだけの収入は稼げる」
なんて言ってたけど、まだ1歳の子供をいいところに通わせるのが生活レベルなん?

まだ自分には子供がいませんからよくわかりませんが
子供の面倒ってみたいもんじゃないのかな。
つーか面倒みるより仕事なら子供作んなきゃよかったじゃん。
子供いなかったらその30万浮くんだからもっと生活レベルあがるじゃん。

他にその契約で設計事務所で働いてる人の話もあって

「まだ家族もいないし、今は好きな建築をやりたい。出社も退社も好きな時間にできる職場なので満足している」

なんて言ってました。

仕事で満足できる人っていうのは幸せだと思います。
でも、たらればの、無い物強請りの話なんだろうけど
例えば宝くじが当たったとして、あ、それじゃ足りないかな。
一生困ることのないお金が手に入ったとして
仕事に満足してるって言ってる人でも
本当にその仕事を続けるのって聞いたらどう言うんだろうね。

趣味と仕事がたまたま似通った幸運な人であっても
根本的には自分の為か他人の為かっていう大きな差があるわけで

「のだめカンタービレ」って漫画あるじゃないですか。
で、音大生は裕福で上品ってイメージを壊す設定が受けてるみたいなんですが

実際のバイオリン奏者の人の話が
「子供のころから一生懸命取り組んで、費やすお金は医学部並み。でも将来の保証は何もない」
なんて言ってました。

その人は音大を卒業しても仕事がない状況を踏まえ
若手演奏家を集めてグループを作って活動しているそうなのですが
空席の多いコンサートを体験し悩んだ末にやりたい曲ではなく
みんなが知っている曲を演奏する道を選んだそうです。

週刊誌に乗ってた年収2億円とかいうホストは
車はいろいろ乗ったけど今はスズキの軽で住んでる所も前は広かったけど
今は八畳一間って言ってました。

別のなんか有名なホストは店増やしたくて脱税したって話題になってますが。
(いや、正確に言うならばこれ書いた当時に話題になってた、これ超放置してたし)

この世界じゃ一番神に近い人たちなんて
別に働かなくてもお金が入ってくる立場だとは思いますが
一体何を考えて日々を暮らしてるんだろうね。

巨大掲示板の寓話。

釣りでほそぼそと生計を立てている人に経営学の達人が言う。
もっと近代化・巨大化して利益をあげろと。

…そうすれば悠々自適に釣りをする生活ができるのだと。

過ごす時間がそのままセイに繋がるのなら
もっと純粋でいられるのに。

何をしよう…何を…ナニオ…ナニオ…死よう

響くラジオ。壊れたステレオタイプ。

P.S. ひょんな事かPC版のシレン外伝始めちゃったので
さっそく日記更新なんてナニソレ?になりそうなんですけどw

パブロフ

2008年3月1日 駄文
は じ ま り は
 な ま え の な い
    て  が  み
 
 
 
 
 
早熟だった。いや、熟すなんてもんじゃない。
正確に言うのなら腐っていた。
誰もが(男に限る)やったことであろう幼稚園でのスカートめくり。
ただのいたずらだったわけじゃない。
性的欲求でそれを行っていたなんてどうだろう?
園児が放課後のお稽古のバレエで着替える様を影から除いていた園児なんて
ロクな大人にならないに違いない。

それでも小学生の時には落ち着いていた。
入学早々スーカトめくりをした男子はズボンを脱がしますなんて
適切に脅されたというだけだったのだけど。

それでも秘密基地にはどこからか拾ってきた猥雑な本が溢れていた。
ボロボロになった紙束には夢も希望もありはしなかった。
もっとも、それが同じ紙――札束だとしても夢も希望もないだろうが。
モザイクや白抜きで隠される局部を夢想する事はなかった。
それがどんな形でも、行為を想像してしまえば大した違いはないのだろうから。
見るものではなく感じるものだから。
ただ、それはどうしようもなく隠さなければいけないもなんだ、と分かった。

ねぇ、だから、こんなにも歪んだ存在の僕は

許されるわけもないって

押しつぶされそうだった

僕が穢れた想像をすればするほど、女の子は綺麗だった。
泥だらけの本に押し付けた舌が、ひどい苦味を感じた。
汚い心と体じゃ、女の子になんて触れてはいけないと信じた。
伸ばした手は影だけを掴んで。
気づけば、精通の前から達する事を覚えていた。

その境界をいつでも犯そうとしてた、けど、
そこまで届かないのは、単にチキンだっただけ。
狂々まわる、いつものメビウス。
少しだけ、タガがはずれたのは狂気に圧されたから。

はずみの告白が受け入れられたのは何故だろう?
ねぇ、僕には「好き」なんて意味がわかってなかったのに。
気高いハズの女の子がそれに気づかないなんて。

付き合って少しだけ経った時、彼女を抱きしめたら、泣いた。

ああ、それで全部わかってしまった。

何も言わず立ち去れば良かったのに逐一確かめたのは終わりを確信したから。
告白された嬉しさでOKしてしまった事。
ホントウは別に好きな人がいた事。
抱きしめられて初めて好きでもない人と付き合う意味に気づいた事。
泣きながら問いに頷く彼女、いや元彼女。

ああ、やっぱりどこか気高いな。
好きでもない男に抱きしめられたら泣いちゃうんだね。

そしてやっぱり最低な僕なのに
時の流れに押し込むようにしてまた同じ事を繰り返すんだ。
もっと狡猾に。

建前でも本音でさえも結局同じ下心で構った女の子が懐いてしまったのは
家庭環境が不安定だったからにすぎないんだろう。

机の中に入っていた手紙は名前がなかったけど
そういう風に仕向けた子だからすぐに思い当たってしまう。

形だけの僕からの告白。

…あの時、なんて言ったんだろう。

押さえに抑えたそれなりの課程は穏やかだったけど
1月も過ぎた頃に僕は僕だということが溢れ出した。

ベンチしかないような公園でグラスも使わずワインを分けて
わざとすぎるほどさりげなく腕を胸に触れさせた。
酒の勢いを理由にするほど、臆病に、したたかに。

B…しちゃったね、と彼女は言った。

まるでピトスの少女だ。無邪気なほどに。
決壊してしまった。すべてが。

それじゃあ、まだBじゃないから、と僕は言った。
木を見ただけでは森ではないように。

不思議そうに僕を見る彼女の返事を待たず僕は手を下に伸ばす。
布の上から。隙間から。進入する。ブレーキは壊れてしまって。
彼女の表情に恍惚が混じる。崩壊が加速する。

してよ、と彼女は言った。

ねぇなにが起こっているんだろう翳るままの瞬間に。
僕の望んでいた悪夢のままの景色が。

そこがどこだかも忘れてしまった僕らを引き戻したのは知らない足音。
それでも抑圧されつづけていた僕といくらか抑圧された君が結ばれたのは遠くなかった。
抑え続けられたバネだから開放されれば爆発的で。

高める方法はいつかの紙束で得た知識しかなくて。
ことの際はにいつも耳を舐める戯れ事で
いつしか彼女はそれだけでぐちゃぐちゃになるように変わった。

カラオケの合間に、テレビゲームの休憩に。
いたずらのように耳を舐るとそれだけで溢れ出て、落ちて。
その空間が捻じ曲がっていく。

ああ、まだ僕が小学校の時だ。
向かい合わせに座る給食の時間の狂気。
僕はゆっくりと足を上げて向かいの女の子の足の間へと伸ばしたんだ。

何かが終わると思った。全てが終わると思った。
なのに、女の子は黙って微笑んだだけだった。

気高さなんて思ってたものは所詮自己嫌悪でしかなっかたんだろう。
並んでしまえば嫌悪を抱く理由が無くなったのかもしれない。

今日は大丈夫な日だと言う彼女は
虚空から2回分の濁りを溢れさせながら
もう1回愛してくれたら起きるからと言った。

ああ、思い出した。あの時の告白。

これから俺がお前を守ってやるよって言ったんだ。

誰から守るのさ? 何から守るのさ?

なぁ、なぁ?
こんなにしちゃった僕が何を守るっていうんだよ。

また納める前のお約束を繰り返しながら
僕は実験動物の犬のことを思い出していた。
 
 
 
 
 
お し ま い は
 す く い の な い
  い  た  み
あの頃住んでたあの街はいつの間にかパチ屋ばっかになってました。
…ま、もともと飲み屋とギャンブルと風俗ばっかつーような学生街でしたが。

さて、ギャンブルってやっぱ流行ってるんですかね。
いろんなところでそんなの見るんですが

なんかおかしーぞ、てのが偶に…

負けてる人が確率が収束するから次は勝てる見たいな事書いてるんですよ。
すげぇ違和感。なんちゃって理系感が漂います。

確率が収束するってのは大数の法則ですね。
難しい事は俺もわかんないのでwパスしますが
要するにギャンブルとか試行回数増やせば確率通りになるって事です。

でもね、だから負けてると勝てるってことはないんですよ。

確率は変わらないんだから。

例えばジャンケンで1万円掛けるとしましょう。

8勝2敗、わーい6万円儲け。勝率80%!
そのあと1000回やって500勝500敗。
勝率80%→50.30%

別の人は1勝9敗。8万円の損害。勝率10%。
なにくそ!と続けたら1000回で500勝500敗。
勝率10%→49.60%

確率は収束するなんて変に難しい言い方ですけど
要するに試行回数が多くなればなるほど
少ない試行回数の及ぼす影響は少なくなるって話ですよ。

当たり前ですよね、事象/全体数が確率なんですから。
つーか収束するってことと勝ち負けってあまり関係ないですよ。

100戦62勝38敗 勝率62% +24万円
1000戦572勝428敗 勝率57.2% +144万円
10000戦5421勝4579敗 勝率54.21% +842万円

分布とかもめんどいから省きますけどね

…言うならば確率は全体の事象だけど、勝ち負け自体は個々の事象って感じ。

確率が近くなっても(収束しても)さ
1000000000000000000000000000000回の試行のほぼ50%のほぼなんて
それこそ天と地との差になるわけですよ。

だからさー、確率が収束するから勝つとか負けるとか止めてね。

って言っても

そもそもパチとかスロって内部時計当てゲームなんでしょ、確か。
いや、それは昔で今は違うのかもしれないけど。

長々と書いたこれ全部関係ねーーーーじゃん!!!!

さらにそれ以前の話、

「確率が収束するとか書いてるのウけるよね、
たった数百回や数千回とかのレベルで何言ってるの?
そんなんで収束するわけねーじゃん
馬鹿じゃないの? これだから文系は…」
(理系某さん)

いや、その通りすぎてホントこの文書全部意味ねーわw
そう言ったのは
迷える青春少年でも
青い日の痛みに耐えた少女でも
あるいはリタ中のジャンキーでもなかった。

嗄(か)れた声。いや、嗄(しわが)れた声というべきか。

救いを求めるように伸ばした手の甲には、いくつも罅があった。
それが積み重ねた、罪重ねた日々の重さなのか。

老女は食い入るように医師を見た。
一縷の望みはそこにしかないように。
彼がこの世に使わされた救世主であるかのように。

老女が医師に宥められる様子を見て、まるで子供だなと思った。
同じ言葉を何度も繰り返している。
青い、アオイ、碧い、あおい…
目的喪失暴走少年の包丁だ。

世界が青くなったわけではない。
盗み聞きしてしまった内容からすれば、
老女は角膜にレンズを入れたか変えるかしたようだ。

真白な壁がくすんでいくように
人の体だって喪われていく。

磨り減った軟骨。
紫外線で黄変した角膜。

自分の見たものさえ真実ではないのだとしたら
何を信じればいい?
 
 
「光あれ。」 世界の始まりの言葉。

それほどまでに光は重要な要素でもある。
時間や空間の大きさは変わっても光の速さは変わらないという光速度不変の原理は
特殊相対性理論の基礎にもなっている。

ああ、でもね、そんな事はどうだっていいんじゃないかって。

ろくに勉強もできない夢詰め込める人間だからさ
難しい事を言われたって分からない。

光の速さは超えられない?

音速を超えた弾丸。

その事象を準用すればいいだけじゃないかって。

スペクトルも神の存在も絶対なわけなんじゃない。
見えるものも見えないものも信じられるものなんてない。

そうだね、だから何が言いたいかって言うとね
その演じてる少女のハート(中心)は何なんだろうって。

色覚異常フィルターなんかよりもっと、もっと

わかりもしないなんてのは自明なんだろうけど。
 
 
たぶん
 
 
ブラックホール。
 
 
P.S 何も考えないで書いたw あ、7〜15まで休み。おわり。
時間的には暇でもないんだけどね。
人生には暇なんだ、ははは。

と言いつつ最近たまに就く夜勤の電話番ってマジ暇ですわ。
某さんも言ってる事ですが。

あまりにも暇すぎてやってたガンダム00見ました。
いきなり第8話だったけど。ってこれ書いたのかなり前だね、はは。

つーかGAOで見れるんだよね。これ。たしか。
実は1話を見て5分で止めたんだけど。

いや、別に面白いとか面白くないとかじゃなくて
リアルをモチーフにしすぎじゃね?
別にガンダムじゃなくてもいいんじゃねーの?
宇宙に人が住む(?)設定なのに
その他の設定がやたら現代に近いと思うんだけど。

まぁ、アニメつーかテレビは本とかと違って自分で進められないから
あまり好きじゃないんだけど。
と言いつつあまりに暇だったら1話から見るかもw

そして好きじゃないと言いつつテレビつけっぱなしで仕事w
ニュースかバラエティかよくわかんねーもん流してたりします。

で、最近話題の食品偽装ありますよね。
いや、もう古いかな?
時の流れは早すぎますわ〜。
と思ったらまた再燃っと。

もともとこの日記のタイトル「俺に廃鶏を食わせろ」にしようかと思ってたんだけど
いつの間にか時間が過ぎていくw
ま、いいか。

で、地鶏と偽装されたっつー例の廃鶏。
1羽数十円(10〜20?)らしいのですが

これが旨いらしい。

歳食っただけあって肉は堅いけど
コクがあるんだってさ。

つーかさ、なんとか牛とかなんとか鶏とか偽装よくあるみたいだけど

そんなんここまで騒ぐほどのものなん?

冷静に考えてみな。
パックで数百円の味付け地鶏パックに
本物の地鶏使ってるわけねーじゃん。

仙台で外国産の牛タンは旨い旨いって食ってるんでしょ?

要は旨いか不味いかじゃないの?

どこぞの街の交通死亡事故の方が
まだ重大な事だと思うんだけど。

そりゃー詐欺には違いないだろうけどさ。

賞味期限だって
別にそれで死人出てる訳でもないんだよね。

餡子と餅を分けて再利用とか
さすがにすごいwとは思うけど
それで腹壊したやつなんて(多分そんなには)いないじゃん。

付け足したようにテレビでは賞味期限の定義とか言ってるけどさ
あれってどう訳しても多少過ぎても大丈夫ですって意味にしかならんと思うんだけど。
なんでこんな鬼の首でも取ったように騒いでるんだろ。

つーかさ、そんなん気にしてたら外でメシなんて食えないぜ?
外食産業で働いてた人はよく食べるのイヤになるとは言うけどね。

マックの氷の中には便器の中の水よりバクテリアがいるらしいってのは前書いたけど
他にも、食器洗い器なんて循環で最後にちょっと流してるだけだぜ?
フォークについたチーズなんて落ちにくいから知らぬ間に誰かさんと間接ディープキスだってありえるわけだ。

第一、髪の毛入ってれば気付いて文句いう人いるかもしんないけど唾入ってたらわかんなくね?

例えばさ、2つのコップに泥水と
洗剤の泡が浮き立ってる水があって
どっちか飲まないと脱水症状で死ぬとしたら
みんなどっち飲むんだろうね。

大概の人は即答で洗剤水なんかなぁ?
毒性どっちもあまり変わらないと思うんだけど。(根拠無し)
あ、俺は泥水取ります。んで加熱します。界面活性剤は加熱しても毒だしな。

ゴキブリ揚げてようが黴菌死んでるって。
痛い子ちゃんなんて死んじゃえって思わなくもないけどさ
ホントに社会的抹殺な感じに祭る必要もあんのかかなり疑問。

気にしちゃ駄目なんですよそんなこと。
それくらいじゃ大したことないって。

えーじゃあお前食えんのとか言われそうだけど
敢えて食おうとは思わないけど別に食えるよ。
絵具(合成着色料ね)のがやだな。

輸入のコーンもさ、トラックで小石や砂も混ざってザー、だよ。
食品てかもはや製品。

今バイオエタノール用の需要が高まってさ
最近流行の価格上昇、たしかにこれも原油が遠因だとは言っても
1ブッシュエル(25kg)が4ドル弱(書いてる時期が不定すぎてあってるか?これw)だよ。
生産者価格とはいえさ。
その価格でどんだけぇー安全だったらオネエも許すのかと。

ペットボトルって強度があまりないから傷とかつきやすくて
衛生上(?)からボトルそのものを洗って詰める再利用ってのはされてなかったんだけど
(ちなみに欧州ではされているらしい、多少のことだからねw)

最近洗ったリサイクルペットボトルの天然水が試験販売されたんだよね。
さて、今までの衛生上ってなんなんだw

リサイクル様々の前にはなんでもありなのか?
だったら賞味期限切れた食品のリサイクルだってやっぱり問題ないだろ

ま、最近はどこでもペットボトルって「リサイクル」してると思うんだけど
そのリサイクルってのがどうなってるか知ってる?

綺麗大好き日本人は洗って使うなんてできないからさ
再生原料に回されることになってるんだけど
そんなに再生原料需要あるわけじゃないからね。
質の悪い衣料くらいにしか使えないからさ。

だから実際はどっか闇の中ってのが大半なんだよ。

ぶっちゃっけ燃やした方がよっぽどリサイクルなんだよね。
燃料としてのリサイクルはリサイクルとして認めないのかね。

そこそこ新しいタイプの焼却炉だとプラとかも燃やせてたんだけど
ダイオキシンうんぬんで潰れてさ
今は火力不足をわざわざ重油で補ってるんだぜ?
プラとかはよく燃えるんだけど生ゴミは水分多いからね。

第一ダイオキシンなんてたいして毒性ないらしいぜ。
少なくとも青酸カリの60000倍なんてのは大嘘だよ。

焼き鳥串にはダイオキシン発生してるらしいし
そもそもどっかの大統領の暗殺未遂にダイオキシン使われたけど
そいつ生きてただろw
さらにちょい前の農薬ってダイオキシン入ってたんだよね。
俺らの両親とかみんなダイオキシン入りの米食ってたんだぞ?

どこが青酸カリの60000倍なんじゃ。だったらそいつ死んでるだろ。

ま、こういう嘘ってかなり多くてさ。
官庁が出してる報告書にも
「地球温暖化により極地の氷が溶けて海面が上昇する」って書いてるらしいぜ。

あれ、北極の氷が浮いてるっての常識なんじゃ無かったっけ。
んで、浮いてる氷って溶けても水面あがらんはずだけど。

まぁ南極のは溶けたら水面上がるから嘘でもないかと思ってたら
それもどうも違うらしいぞ。

俺にはよく分からないけど熱系の理系の人ならしってるのかな。
温度差が大きいほうが物の移動量が増えるってのがあるらしい。
で、極地の場合は周りが暖かくなった方が海水が氷として移っていくらしいぞ。

で、官庁がなんでそんな嘘書いてるんじゃーと思いきや
英語のを和訳したときに短くしたらそうなったって事らしい。

ま、実は温暖化したら海面は上昇するんだけどね。

答.熱膨張

つまり、「地球温暖化により極地の氷が溶け(るのは関係なく)て(海水の熱膨張で)海面が上昇する」
ってことだね。うん。見事な略し方じゃん。嘘じゃないね。

…。

ダイオキシンも

(モルモットにとっては)青酸カリの60000倍の毒性らしい。
ちなみにハムスターだと8000倍。

おいおい、人間は?

あとさ、森林が二酸化炭素吸収するとかデマらしいぞ。

なんでかっつーと二酸化炭素は成長にしか使われないので
その木が死んで分解されるような事になれば最排出されるから。

植物だって二酸化炭素で生きてるわけじゃないんだよね。
中学でやらんかった?

遮光状態の藻が出す気体って二酸化炭素だったっしょ?

なんだかなー、昔の新聞の投稿で
割り箸は別に環境汚染じゃないぞって話が出始めた頃の意見でさ

それでも物を大事にしなきゃいけないのは間違いない。
我が家では割り箸を綺麗に洗って息子が工作に使ってる。
そうやってリサイクルをするべきだって言うキティ主婦の意見あってさ

は?www それガキの工作永久保存でもすんのかwww
とか思ったけど

俺同レベルだったよ。わらえねー。

ま、ホント笑えない話があってさ、さっき書いたコーンだけど
だいたい去年の2倍くらいにあがってるんだよね。

先物しとけば大儲けだったのにー。
って先物の業者って名前知られてるようなトコ以外ほとんどが…

テレビで出てた人は3500万預けて5000万に増えたんだって。
で、金出したいって話をしたら3日後に急落して30万円になりましたって言われたんだとよ。

3日で急落ってどんだけだよw

で、取材者に元そこの社員ってのが語るわけですよ。
ま、退職した人に旧制服着させてインタビューするくらい嘘臭いけど。

「取引なんて一切していません。数字合わせただけ」だって。
つーかそうでもしなきゃそう感嘆には3日で3500万を30万にはできないだろw

で、その人は当然裁判するわけですよ。
結果は和解で1000万の返金。
その人つーか被害者は取り返せて良かったみたいなこと言ってたけど

詐欺同然っで2500万稼いだ業者ウマウマじゃん。

つーかこれが罪にならんのだったら俺も今日から会社作るわw

食品偽装ぐらいどうでも良くね?

帯状疱疹

2007年11月20日 駄文
文化――と言えばとても高尚なものに感じますが
それはまだ人が衣食住にも窮していた頃、
十分それ以上の余裕を持った人間が行っていたことだったからなのでしょう。
ほら、まわりをごらんなさい。
ケータイにカップラーメン100食以上のお金を掛けている人々がいて、
パチンコに家賃と同額、あるいはそれ以上に費やす人がいて。
もはや全ての文化というものは特別なものではなく
大衆的なポップカルチャーとしてしか存在しえないのです。

・・・

友人の日記に書かれていたことで最近自分も結構考えていたことなのだけどそれについて書いてみようかな。

友人の日記ってのはそれが主旨じゃなくて
「小説なんていつでも書ける」って女の子がいてムカついたって話なんだけど
それは確かに一言で言えば「だったら今書けよ」で終わる話でしかない。

ただ、その中「作文」は誰にでもかけるけど、「小説」は才能がなければ書けないって話があって
それはその通りなんだろうけどじゃあ作文と小説の違いって何だろう。

「誰でも一生に一冊、小説を書ける」ってその女の子が言ってたらしくて
友人は「それほど強烈で特別な体験を誰でも一生に一回はする」って意味だと否定してるけど
確かにそれは犬も歩けば棒に当たると大して変わらなくて
おい、棒になんか当たってねーよとかそんな表現の話でしかない。

ただ、体験だけで書かれた本、
才能が無いものが作文とするならば

その作文がそこそこ売れ読まれているのも事実だ。

ぱっと思い出しただけでも「生きながら火に焼かれて」とか
「あおぞら」(未読、なのに書いてすいません)とかある種のケータイ小説とか。

資本主義で使われているスケールでは
それらはそこそこ優れたものであるというのが一面の事実だろう。
最も、絵画にしたって故人の遺物と絵画商法でもよく売られているリトグラフの値段の差が
そのまま価格の差という事ではないのだろうけれど。

どうして、誰にでも書けるようなもの
(いや、まぁ少なくてもそう見えるということで)が売れているのだろう。
友人は編集者なので暇だったら
その目線から教えて貰おうと珍しく踏み逃げ(笑)しなかったところ
友人は小説とケータイ小説を例にして
ケータイ小説は進化した小説なのかもしれないということを言っていた。

実は自分に引っかかっていたのはその部分でケータイ小説だけに留まってないような気もして
色々考えてたんだけど
気付いてみればメウロコ…いや、
初めて死に気付いた子供みたいな気持ちになった。

疑問そのものが、すでに答えだった。

誰にでも書けるようなものだからこそ売れるのだ。

カルチャーがポップカルチャーに取って代わられたなんてのは
別にパクったつもりはないけどパクってしまっているくらいに言われている事でしょう。

最近インターネットの発達によって作り手と受け手の敷居が低くなったなんて事も言われているけど
なぜそんなことが容易に起こりえるのかがなかなか分からなかった。

でもそれは敷居なんて元々は無かったんだろう。
ただ、手段が存在していなかったのだ。
だから、容易に、速く、進んでいるように見える。

その中ではできるだけ平易な文章で分かりやすい内容の方が人気を得られるのだ、というのも納得できる。
才能という個人に強く根ざしたものは一文の人を引きつけることはできても全体には広がりにくいのだ。
絵画が写実ではないが為に本質的にテーマを内包しなければいけないのに対して
写真が必ずしもテーマを必要とするわけではないように。

誰にも書けるわけではない技術のある小説と
誰にでも書ける作文で
どちらが作品として優れているかは別の問題なのだ。

だから結局は…いつも書いている事なんだけど
これは文体が酷いけど内容は面白いとか
この表現はうまいのだろうけど鼻につくとか
この比喩の感性は自分の好みだとか

そういった自分の嗜好のの中で面白いと思うものを
優れているとするしかないのだろうか。
落合采配が名采配か愚作かそんなことは定義できることでもないでしょう。

所詮は衣食住からはみ出た趣味の問題でしかないんだ。

といつもならこれ以上踏み込むつもりもなかったんだけどね。
もうちょっとだけ言うと

相対的により多くの人間が面白いと思った作品こそが素晴らしいって事なんだろう。

なんか救い無い気もするんだけどね。

そもそも自慰か迎合かの差でしかないもん。

俺について来いでそれでも人気があるものもあれば
一生懸命媚びて人気取りをしてるものもある。

読者に向き合って作り上げられたものもあれば
独りよがりな文章で終始されたものもある。

そんな事はどうだっていいんだ。

泡はすぐに消えてしまうんだもの。

それでも……救われる気もするんだけどね。

んあ

2006年6月5日 駄文
言い訳で始まるのもすでに俺っぽい。

読み手の事を考えて書くっていうのは
読み手に迎合するって事とは違うだろうに
そんな基本的な事もままならないとはね。

んー…
先日の日記(妄想コイン)ですが
はっきりいってタイトルの時点からなぁなぁ臭出てるよね。
読んだ友達に「よくわからない」っていう素晴らしい感想を貰ったんだけど
それもそのはず。俺自身良く分かってない事を書こうとして
それをそのまま書く事ができずに無理やり適当なオチを付けてるんだから。

だったら良くわかんないなりに書いとけば良かったんだ。
身分相応とはまさに至言。

そもそも書こうかと思ってたのは中盤の良くわかんない話しで

これ知ってる人は少ないと思うんだけど

地球に壊滅的な影響を与える程の隕石が落ちる確率って
実は宝くじの1等が当る確率より大きいんだよね。

んなアホなって思う人多いと思うんだけど
宝くじっていうのはだいたい1億〜2億くらい発行されてるからね。

その総数の中に当りが含まれるのはそれは当然の事なんだけど
1枚の宝くじが当るなんてジオサイドよりも起こらない。
にも関わらず幸運を掴む人はいるというこの現実。

ほんとに…非科学的な妄言でしかないんだけど
その当る人って何かに選ばれたのかもしれない…なんて
ちょっと思えて。

宝くじが当る夢を見て宝くじを買ったら当りましたとかそんなのはね、
宝くじが当る夢を見て買ったら外れた人間なんていっぱいいて
そんなのは話題性も何もないから出てこないってだけで。

あの時良い行いをしてたから当りましたなんていうのも
例えば募金したとか席を譲ったとか
何がしかしたことに因果を押しつけてるだけなんだろうけど。

コインフリップじゃなくてもね、1/2の勝率のゲームで
例えば10連勝って結構ありえない事だと思うけど(確率0.0977%、有効数字3ケタ)
トーナメント方式でやるのだとすれば1024人いれば誰か1人はそうなる。
20連勝(0.0000954%)でも1048576人いれば誰か1人が。
30連勝(0.0000000931%)でも1073741824人いれば誰か1人が。
ってそれは10億人にもなりますけどねw

だからこそ、その中で勝ちあがった人がいるとして
統計的には勝っているうんぬんなんてことを言わないでも
何かがあるような気がしてしまうんだよね。

実際の所、確率なんていうのは概算という手段でしかなくて
現実に起こる全ての事象で確率に真に依存してるなんて物はない。
(不確定性原理が真に正しいかの証明は誰にもできないべ)

だからその人が
ジャンケンなら心理戦を制して
コインなら投げ方を呼んで投げ方をコントロールしている
あるいは空中での動き方から面を予測しているなんて
「超」能力を持っているなんてこじつける事はできるんだ。

例えば麻雀は確率と心理に依存する「実力」のゲームだけど
「天和」なんてまさに運で決まるような役ですら
出しやすい人っているんだよね。

それをサマとか牌の流し方すら制御しているなんていうよりは
総体の中の1人とでもいう方が納得できるんだけど
なんでその人なんだろうっていうのは理由がないはずなのに
理由が無くてはならないような気がしてる。

「真実であられる創造主に自分の魂をゆだねなさい」???
(ペテロの手紙1 4章)

ああ、自分に運が無いとかそういうつもりで書いてる訳じゃないですよ。

言い訳で終わるのもすでに俺っぽい。

妄想コイン

2006年6月2日 駄文
例えばそう、このコイン、コインフリップだよ
表か裏かを当てるっていう。
こんなのはね、そう、分かりきってる事だろうけど
サマでもやんないかぎり勝率は限りなくどころかほぼ間違い無く
1/2なわけだ。ん?なんだい?まさか俺はラプラスだなんてのはやめてくれよ。
冗談でもそんな事はいっちゃいけない。ああ、見透せるんだとしてもね、
こんなのは単純に純粋な運で勝負するってのが本質なはずさ。
ところでこの賭け事の根源にして単純な素敵ゲームだけどな、
俺の知り合い…そうだな、一郎にでもしとくか
ああ、もちろん仮名だけどな、でもそこで雄一(仮名)なんて書いた所で
雄一ってだれなんだ?って変な気を回されても困るしな。
いや、雄一ってのはホントにただの思い付きだよ。思いつき。
こんな所に構ってもしょうがない。
話が反れてるがな、だからまぁ嘘っぽい名前筆頭の一郎ってわけだ。
こんな事言うと米国野球の愛好者には怒られるかもしれないけどな、
まぁそれはそれとしてだ、彼、イチローくんはこのコインフリップなんと
777勝223敗なわけよ。おーびっくり。なんと。いや。嘘っぽいのは分かってる。
でも俺はな、彼がそのゲームの1000回目、776勝223敗の時
やっぱりラッキーセブンがいいよなと言って
事実勝利したのを目の当たりにしてるんだ。
そうそう、人を疑うのは良くないぜ? 昔お父さんにも言われただろ。
まあ単純に勝率で考えたってこりゃすごい。彼はまさにラッキーボーイなわけだ。
そりゃ7もみっつならぶってなもんだよな?
ちなにいっとくと顔も良くて頭も良くて背も高くてスポーツ万能ってのが
彼、イチローくんなんだけどさ。
いや、しかし天は二物を与えずなんて嘘っぱちだよな。
そうそう、そのイチローくんの隣に住んでるジローくん。
彼ったら顔も悪くて…あー全部続けるのもアレだから以下略にさせてもらうけどさ
まぁ…ぜーんぶいけてないわけよ。すみからすみまで。
んで彼のコインフリップの勝率もビビるぜ、聞いて驚くなよ、42勝958敗だぜ!
42勝! 1000回でな。もう見ちゃいらんない。いや、見てたんだけどな、
ゲームですらダメなのかよって。そう、500回を超えたあたりかな、
そのときですら5勝くらいしかしてなかったんだけど泣き出しそうで心が痛んだね。
ほんと。いや、別に俺が何か悪い事をしたってわけじゃないんだけどな。

さぁさぁそんな二人がだ、いよいよ直接対決をする事になったわけだ。
ああ、言ってなかったな、それまでに2人には接点は別になかったわけだこれが。
ついでに言えば流れというヤツがあるかどうかは知らないが
それまでの勝負の日とも別な日、新たな舞台の幕開けってわけなんだけどな、
イチローが勝つ確率だってジローが勝つ確率だって
1/2に間違い無いって事は分かるよな?
それがフリップコインだ。まさに単純。素晴らしいゲームだよな。
だがしかし統計的に見てみりゃジローはイチローにほとんど勝つ事はできないんだよ。
クズはゲームでもクズってこったな、こりゃぁある意味真理だ、どうしようもない。
さぁ じゃぁこの二人のどっちが勝ったのかわかるかい?
ああ、そうだ、君に聞いてるんだよ、今目の前にいるサブロー君、君だよ。

長々と話してすまないんだが実の所この話にオチはないんだ。
ああ、石でも投げられるかもしれないがな、まぁ問題はそんな所じゃない。
それはな、サブロー君、君が、そう君がこの救いの無いゲームの勝者がどちらか
勝手に想像してみた時の話なんだがね。
イチローが勝てばやっぱり勝ってる人間はなんて、
ジローが勝てばやっぱりコインは1/2だなんて
思ったりしてたんじゃないかい?ん?ん?
ああ、そうだ、この架空の物語じゃそんなのはどっちが勝たっていいし
理由だってどんなんだっていいんだろうけどな。なぁ、サブロー君、
これは現実の話だ、そう、まるでこのゲームのような状態に陥った時、
君は君の勝手な思いこみで物事を解決しようとしてるんじゃないかい?
ああ、そうだ、理由なんて無い、いや、それでは語弊があるな、
「君が思ってる」理由なんて無い。納得はできないかもしれないがね、
君が思ってる事が理由だなんてのが通じるとは思わない事だ。
そう、それを言うために私はこんなに長々と話さざるを得なかったんだけどね。
ああ、それはそうとサブロー君、君の周りに「サブロー」って名前の人はいるかい?
いやいやこっちの話しだ。そう、まぁ簡単に言えば次のようなことなんだがね。

※ この話はフィクションです。 実際の人名とは一切の関係はありません。

自由×第4権力

2006年3月27日 駄文
そこに自由を巡る争いがあって。
イスラム教の風刺画で問題になった通り
自由と自由がぶつかりあってどちらかの自由を制限しようとしてる。
そして自由同士でぶつかりあわないでも
自由の幅が広くなっていくと権利・規制ともぶつかりあうね。

それは、例えば、
プライバシー権と表現の自由。
個人情報保護法と報道の自由。
国家公務員法111条(秘密漏洩のそそのかしの禁止)と取材の自由。

プライバシー権と表現の自由だけど、
現在の所は公人に近い扱いでなければプラジパジーが優先される事になってるみたい。
だから、政治家の報道はいいけど、一般人密着24時間なんてのは駄目。
勝手に知人をモデルにしてほぼ実話な小説を書くのも駄目。
芸能人のプライバシーなんてのは何故かいいみたい。なんでだろうね。
それならまだいいけど、犯罪被害者や事故の犠牲者とかって許されるのかな。
マスコミはさも当然のようにそんな人達にまで知る権利を主張してる。
ホント反吐が出るね。

報道の自由っていうのは実際言論の自由と同義で
憲法21条で保障されているし大事な事だと思うけど。
だから真面目な報道をしようがくだらない番組を垂れ流そうが
そういう面では許容しなきゃいけないと思うんだけど。

やりすぎたからこそ、個人情報保護法ができたと思ってるんだけど
マスコミの反対キャペーンはすごかったよね。
まるで自分達は国民すべての代弁者であるかのように知る権利を連呼してたよね。
あとは、これでは政治家の報道ができなくなるとか。
それで多少修正されたわけだけど、マスコミが望んでたのは法案の廃案で
それは実際の所犯罪被害者や事故の犠牲者の報道もしたいからって事に他ならないよね。
実際、事故の犠牲者がマスコミに名前を教えないでって病院に頼んだことを
問題だって言っている記者がいたんだよね。

国が定めたラインは政治家とか国家に近いかもしれないけど
マスコミがいうラインなんてのはプライバシー権なんてほぼ認めないラインだよ。
これはものすごい問題だよ。
例えば、国なり政治家なりが不正をした場合は
いくら法で守ろうとしたところでみんなも黙って無いだろうし
裁判所だって判決でラインを調整できる。
だから、そのラインで法律が決まってもまだ廃案に比べれば問題が無かったんだ。

何故かっていうと、マスコミの横暴って誰が止められる?
マスコミは自分に都合の悪い事は封殺できるんだよ。
それどころか洗脳すらできる。
洗脳という言葉は言い過ぎかもしれないし、
洗脳されるほど馬鹿じゃないって言うかもしれないけど
比較対象を与えない事で検討させない事ができる。
個人情報保護法案の時に、犯罪被害者や事故の犠牲者のプライバシーが保たれるなんて
メリットを述べてたマスコミはあったかな?

そして、最近はまたそんなような問題が起こってる。

取材の自由っていうのは報道の自由とは違って
保障されている訳ではなくて十分尊重されているって事になってる。
何が違うかって言うのは簡単言えばちょっとは制限されるぞって事。

例えば、今の国税当局の職員の話題だけど、
これは、間違い無く漏らした奴が一番悪いのは間違い無いね。

だけど、その取材が無理やり聞き出すような物であったんではないかな。

国家機密との関係の判例が確立したのは昭和55年の西山記者事件だけど

その時、西山記者は外務省の女性事務官(既婚者)を口説いて体を重ねて!
機密文章の情報を手に入れたんだよ。

以下は女性事務官が「週刊新潮」誌上に発表した手記。
(けっこう長いです)

・・・

「『実はぼくは、近く記者としての生命を断たれるかも知れない。ぼくは記者としての生命を断たれるんだ。もうダメになってしまうんだ。外務省の書類を見ないと記事が書けないんだ。安川のところへ来る書類をこっそり見せてくれないか』いい終わった時、西山記者は手を合わせて拝む格好をしていた。私はいっぺんに目が覚めたような気持になった。そして、『そんなことできません』とほとんど叫ばんばかりにいい放った」「『ぼくを助けると思って頼む。安川にも、外務省にも絶対に迷惑をかけはしないから。ただ参考にするだけなんだ。見せてもらった書類はその場で返すから…』と、私の言い分など絶対に聞き入れない姿勢を見せた。いや、もし私が断わり続けたら、あのホテルから一歩も外に出してもらえなかったかも知れない」

 「西山記者からは、来る日も来る日も私のデスクに電話がかかる」「電話の彼の声は一方的で言葉短く、『頼む』の一言であった。しかし、あのコソコソ人に隠れて書類を持ち出す不道徳な気持はとても耐え難い。そして、もう、西山記者が私を誘った意図もはっきりとわかってきたのだ。私は電話に出るのがとても恐ろしくなっていった」「私は、西山記者が、彼と私の関係について夫や安川審議官に暴露するのではないかと恐れた」

 「書類を持ち出し始めてから、西山記者の私に対する態度は、かなり変っていった。もう『ホテル山王』で会っても、決して甘い言葉なんかささやかない。私をごくごく事務的に抱いて、あとは私が持っていった書類に目を通し、おたがいほとんど言葉を交わさずに別れる。間違いなく私は彼にひっかかっている」「私を一人の人間としてどう考えているのか。どうせ外務省の書類を見るために私を抱き、できれば私なんか抱かないで書類が見れないものかと考えているのに違いない」

 「結局、西山記者と毎日新聞は、いつも自分たちに都合のいいほうを向いて謝っている。新聞紙上に『遺憾の意』を表明したのもそうだと思う。何よりもまっさきに、なぜ私に謝り、そして私を保護してくれなかったのだろう。事件の最中でも、事件のあとでも、一度もそういう誠意を示してくれなかった」「西山記者は、(取材源である)私を保護してくれるどころか、警視庁の取調べにウソまでつくようにしむけた。私はワアッと泣いて、『刑事さん、ウソをついてごめんなさい』といった時の気持ちが、西山記者と毎日新聞にわかっていただけるだろうか」

 「さいわい、今日生きていられるのは、事件後、路頭に迷った私を坂田弁護士ご夫妻が救って下さったからだ。もっとも、昨年(昭和48年)暮、毎日新聞との間に示談ができて、ある金額の見舞金を頂いた。それはそれなりに感謝するけれども、よもや毎日新聞は、あのお金でもって、夫と私の口を封じようとは考えていないだろう。もし毎日新聞にそんな気持があったら、こんな身勝手な話はない。私もそれほど毎日新聞が卑劣だとは思いたくないし、だいいち、私たち夫婦にも『表現の権利』だってある」

 「私は夫に感謝している。事件が起ってからの夫は、病身にもかかわらず、私のカゲになり、日なたになって援助してくれた」「ところが、今度の公判中、毎日新聞側の弁護士が夫には耐えられない弁論を行なった。夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった。周囲の人、親戚の人が、夫の不甲斐なさを嘆く可能性が十分にあるからだ」

 「私は私の半生を孤独に生きるべく運命づけられた。しかし、これも私の人間としての弱さから出たことだと思って、あきらめざるを得ないのだろうか…」

・・・

ちなみに判例では「その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものであるかぎりは」正当な取材だって言ってる。そしてこれは有罪って判決。

(にもかかわらず最近になって西山記者は国賠請求訴訟してるんだよね、ほんとクズが。そして当時はマスコミも仕方なく西山記者を叩いてたのに最近はみんな忘れただろって西山記者擁護してるんだよね、ほんとクズが)

マスコミは国民の知る権利を損なうってまた同じく述べてるんだけど
なんでもかんでも国家機密が流れた方がよっぽど国益を損なうんじゃないかな。

権力から保障されるべき自由を濫用している新たな権力ができてるね。

もし、それが平然と肯定されているんだったらこれ以上に怖い事はないよね。
健常者に障害者の気持ちは分からない。
なんて言うのは正しいかどうかは分からないけど、
実際の所普段そんな事は気にしないでいて
特に問題があるわけじゃないからそうなんだと思う。

でも障害者に障害者の気持ちが分かるかと言えば
そんな事も無くて
人口肛門を使ってる人が障害者用トイレから出たら車椅子の人に睨まれたり
内臓の病気で立つのが辛い人が優先席に座ってると
前のお年寄りに睨まれたりなんてあるらしい。
内部障害者は見た目ではわからないからね。
でも、睨むって事はもうそれ自体を当然の権利であるって認識してるって事だよね。

ちょっと前の東横インの違法改造だけど
横浜市長が「ああいうホテルは利用しないで」と呼びかけたのに対し
「市長の発言は余計なお世話。あのホテルはサービスも良く、綺麗で安い。
市長は泊まった事が無いんでしょう」って手紙が来たらしい。

実際あのホテルって話題の割に
条例にはかなり違反してるけど法律違反って少ないんだけどね。
(まぁ条例も法に含まれるんですが。これは定義なんで何でとか言えない)

ちなみに脱線だけど
憲法94条には「法律の範囲内で条例を制定できる」ってなってて
「法律の範囲内」ってのは
法律が規制せずに放置しろという趣旨だと思われる物については
条例を作るなって事で同じ規制事項でも目的が違えば問題無いし
目的が同じでも法律をナショナルミニマム(全国を通じて守るべき最低限度のもの)
として扱って規制数値を厳しくするのも問題ないんだよね。
(と最高裁が昭和50年に判決出してる)
実際の所ね、条例なんてそこに住んでる住民の総意がきちんと反映されてるかと言えばかなり怪しいとは思うんだけど。法律の方がまだましでしょ。

ついでに脱線しとくと、法律だって常に厳密に適用されてるわけじゃないんだよね。
例えば売春だって黙認されてますらね。

東横インが安く営業できたのは障害者向けの部屋を削った所による部分もある訳で
障害者向けのコストってのは結局健常者に跳ね返ってくるんだよね。

障害者が補助を受ける事が当然の権利であるとするならば
健常者は当然の事として障害者を助ける義務を負わなきゃいけない。

でもさ、そもそもその違いってなんだ?

生まれつき体が動かない人でも
峠を攻めて事故って半身不随になりましたなんて
自業自得な人も同じ障害者。

不妊だって障害と言える訳だけど
治療に何百万円掛かるわりに何もしてもらえないでしょ。
(最近じゃ少子化対策で補助が結構出るようになったが
まさに条例じゃないが目的が違うな)

頭の良さとか運動神経だって
最初っから劣ってる人もいるわけじゃん。
これだってある意味障害なのにね。
頭がキてるくらい悪ければキ印さんとして補助されるけど
そこまでいかない人とかなりいいとの差だって
例えば収入として比べて見ればものすごい額になるのに。

自分も目がすごい悪いんだけど
(だから障害者の気持ちだって分からんけど類推する事はできるよ)
もちろんコンタクトは自費だし
4月からはコンタクトの眼科の検診保険対象外になるんだよね。
今まで普通に3割で良かったのに全額だよ。
でもこんなん保障されるわけもない。
(まぁ日本って目の悪い人多数派だけど。なんか災害起きた時の為に手術するかなぁ。自分が死ぬのは構わんけど守れないってのは問題だよね)

よく障害者への補助の理由で
競争社会では努力しようとしてもできない人には補助するべきだなんて言われるけど
努力なんて結果が伴っての努力であってね。努力したって無理なもんは無理。
例えば自分がどんなに努力してたって目は良くならない。
(手術だって多少良くなるだけだね)

それに例えば足が動かなくて車椅子でも
頭が働くなら頭脳労働はできるわけだよね。

ホテルなんて嗜好性の極みだからそういう市場もあるわけで
努力して稼いで広いゆったりした高い部屋に行けばいいじゃん。
安さを売りにするホテルにまで対応を求めるなんて
レーシックに補助よこせっていうようなものだよね。

どこかしら人には劣った部分と優れた部分があるけど
劣っている部分を権利に変換できるってどうなんだろう。

実際のところ誰もが誰もを助けるほど余裕があるわけじゃないからね。
飢えて死にそうな時に誰かにパンをあげる事なんて
相手が誰でもできる事でもないし義務でもない。
基本的には足りていてさらに余っている人が
余分な分を分けてあげることもできるぞってだけなんだよね。

そして余分な物を持っている人間が助ける義務を負うかといえばそうでもなく
それを自分の楽しみの為に浪費したとしても肯定されている。
純粋にシステム的な話だけで言えば
余ってる人間が足りない人にあげるのが理に適っているんだけど。
どこまでが余っているかさえ嗜好性で基準されるからね。

それでも、全体の意思として補助をしましょうって事になれば
それはそれでいいんだろうけど。多数原理は大事だからね。
みんなから集めたお金をみんなの使いたいように使う。
みんなが決めた決まりを守らせる。
それは間違いでは無いでしょう。
(問題としては法律なんて本当にみんなの意思なのかって事だけど。
条例なんてもっと怪しいしね)
だから、それはナショナルミニマムに近い物であるべきなんだと思う。
というかそうならざるを得ないんだと思う。
個人個人で価値観は違うんだから。

それで、みんながみんな障害者が補助を受ける事が
当然の権利であるって思ってるのかな。
そしてどこに健常と障害のラインを引くのかな。

それは、たぶん権利ではないんだよね。
権利があるのだとしても、それはそこまでのものじゃない。
そこから上はあくまでも好意によるものなんだ。

例えば難病でどっかに手術に行く為にお金が必要ですなんてよくあるけど
あれは出したい人が出すからそこに問題は生まれにくいよね。

大昔には、シャム双生児がサーカス小屋で見世物として働いてたとか

障害者の芸人で彼は自分及び他の人の障害(生涯)を
自虐や他虐して笑いを取って
それで「こんな事は健常者では言えませんからね」なんて言ってたけど
(まぁ最近じゃ健常者のお笑いも自虐や他虐か)

それでいいんじゃないのかな?

例えば自分が目が悪いから補助してくださいって言っても
そんなん他にもいるし我慢しろみたいな
まるで限定効用理論的に問題は解決されるし、
本当に重い障害の人だったらそれなりに補助を受けるだろうし
軽い障害の人だってそこそこ補助を受けられるだろうしね。

好意を得ようとする行為なんて見苦しいって思うかもしれないけど
そう思う人は補助を受けないで自分で努力して稼ぐなりなんなりすればいいだけ。

権利だって言って主張するよりよっぽどマシだと思うんだけどどうだろ。
なんて質問は愚問だったり命題だったりして
いろんな人が自分の考えを述べてますね。
ちょっと検索してみるとずらずらと並んでます。

聖書っていうのは哲学的にはすぐれた作品だと思います。
その中で原罪に続く罪として出てくるのがカインですね。
さすがにその辺も抜けなくカバーしています。
まぁ…なんで許しちゃってるのか良く分からないんですが。

この質問は倫理・宗教・哲学だけにとどまらず
まともな文学でもラノベでもテーマに置かれる事があります。
誰しもが一度は考える事なんでしょうね。
自分が初めてそういう物を読んだのは『午後の曳航』でした。
まぁ…ちっともおもしろくなかったのですが。
殺人を特異なものとして書きすぎてるんでよね。
この辺聖書のあっさりとはまるで対照的です。

さて、質問を出したたからには答をあげないとなんですが。
良く言われるのは「自分が殺されたら嫌だから他人を殺さない」かな?
だとすれば自分が殺されてもいいなら人を殺してもいいのでしょうか?
いや、逆は真とは限らないとは分かってますけど。

答っていっても、ぶっちゃっけそんなもんは不定です。
黒板にチョークで点を書いて、これはナニ?と聞くと
チョークの点、てんとうむし、ほこり、蟻なんて
様々な答が返って来るそうです。それと同じような。

先ほど言った自分が殺されるのが嫌の他に、
殺すこと自体に嫌悪感を感じるとか、
法律で決まっている(罰せられるデメリットとの方が大きい)とか、
めんどい、とか。
めんどいって言うのは答になってないというなら、
殺す理由が無いからと置き換えますね。
道端の雑草をわざわざ抜く人なんていないでしょ?
都会じゃあまり雑草生えてないけど。

どちらかと言えば、趣味、嗜好性の問題ですね。

と言ったところで実は全て殺してはいけない理由ではなくて
殺さない理由でしかありません。
禁止するということは逆を返せばそれはできてしまうという事であって
本質的に行動そのものは許容されてしまうんです。

そして、この中で後ろ2つは結構危ういです。
罰せられず逃げられるのなら強盗殺人をする。
なにか理由が見つかれば殺す。

しかしながら理由があれば殺すっていうのは
実の所結構肯定されているのでしょう。

戦争は反対の人も多いでしょうけど、
それが自衛のための物なら? 正統防衛は?

そして自分が大切な人を殺された時
犯人を殺すというのは?

そんな人がいたら自分は止めません。
その復讐が終わっても何も変わらないのだとしても。
犯人が消える事によってその人にとっての世界は変わる。
生きる意義さえもその事に置き換わってしまう人もいる。

だから自爆テロとか仕方ない事だと思います。
まさに自分が殺されてもいいなら人を殺してもいいという理論。
あるいは信じきってしまった人達。
止める言葉なんてみつかりません。
その人はその為に生きてきたんだから。
ただ、それを止める事はできる。同じ手段で。

もう、どこにもいけない理由なんて無いですね。
それでも誰しもが殺人を犯すわけではありません。
別に答なんていらないんです。

さきほどのチョークの点の話ですが、
実は色々な答を返してくるのは子供達で
大人はほぼ例外無くチョークの点と答えるそうですよ。
…つまりは、そういうこと。

実は一番危ういのは子供達なんですよね。
何かしらの理由があるのならそれでいいのでしょう。
ただ、それを見つけるのには時間が掛かるわけで。

思い出してください。
なんも意味のないけれど
蟻や蝶や蛾や蝉やバッタやトカゲやカブトムシの命を
踏みにじった事ってありませんか?

それが猫になると精神病の一歩手前だなんて言われたりもしますね。
でも昔、毎晩毎晩毎晩ノラ猫が叫んで五月蝿くて
(初めは子供の泣き声かと思ってすごいびっくりした)
ぶっ殺してやろうとまでは思わなかったけど
保健所ちゃんと仕事しろよと思った事はあります。

子供の無邪気な好奇心は残酷なんですよ。
昆虫に向けられてた物が人に向いてもおかしくないですからね。
なんの意味も無く。

さて、その時になんて止めるべきでしょうか。
やっぱり、答なんて不定なんだけど…

答えを押しつけるのではなく話すことで
その子が自分で答えを見つける事には繋がる。

たぶん。でしかないけれどね。

茶番

2006年2月19日 駄文
3秒後に後悔するなら何も言わなければいいのに…

やっぱり、沈黙は金だね。

その言葉をまさに至言だと思ったのは高校の時でした。

マンガ(多分EIJIだったと思う)を読んだ俺は友達に
「こんなんリアルじゃ乱暴されたからって自殺しねーよな」
なんて言いました。言ってしまいました。

ちょっと、その友達が苦い顔をした気が…

「…だけど、ホントウに死にたかったよ」
横にいた、友達の彼女がぽつりと。

その時ほど思考が空転した事も無かったと思います。
もちろん、何も言うべき言葉も見つかりませんでした。

後日談によれば、その子は先輩に言い寄られて
関係を持ってしまったみたいで(無理やりでもなく強引って程度?)
一時期その人と付き合ったけど元に戻ったみたいな
少し、いや多いに状況は違ってたのですが。

それでもそこで学んだはずなのに
言わなくてもいい事を言ってしまう。まぁこの日記とかw
ついさきっもちょっとね。

沈黙ができないのならば
意味が無い事だけを言えばいいのにね。

茶番って結構重要だよね。
意思の無い会話には本質が無いから踏み込まなくて済む。
行動に移らないことによって調和を保つ。

そうすれば誰も傷つけなくても済む。
でもそれってまるで何も無い事と同じみたいで。
何かをしようと言い出す事ですら
誰かの反対を組みとってしまって何もできず
ギリギリまで待って全員で仕方なく納得するって形式を取るなら
案を出して反対なら自分でも誰でもの次の案に移ればいいと思う。

でも実際全員が納得できる事って少ないんだよね。
その事を考えてしまって先に進めないのは分かるんだよ。

自分は実際人見知りと言うかなんと言うか多人数駄目だから。
一人が好きなわけでもないけども(嫌いでもないけど)
最小単位のコミュニティが一番いいと思う。
言うならば君と僕の世界…ってわけでもないけど。

基本的にどれだけ傷つけないようにするかより
どこまで踏み込んでいいのかどこまで晒していいのかを
探ってるように関係を取っていると思う。
だからレスポンスを感じながらじゃないと疎通がしずらくて
メールも電話すらも結構駄目だったりします。

それは人数が多くなると無理なんだよね。
多分キャパの問題って訳じゃないと思う。
人数が増えていけば関係は立体的に変化するから。
どちらかが立たない時にはどうすればいい?
やっぱり茶番になってしまうのかな。

納得できないことでも話し合っていけば
どこかで妥協できるって言うのは理想かもね。
それは痛いほど分かってる。
2人でもそうなんだから多人数だともっとそうでしょう。

それでも…自分は学習能力が無いから。
できるだけ茶番を避けようとしてる。
説得力すらないなら銀にも値しないのに。

所詮みっともない言い訳。
結局自分が茶番劇を演じてるってだけかもね。

※ ここでいう「茶番」は用語で一般の意とはちょいずれてるかも。

うさぎ

2005年12月26日 駄文
「兎の話、知ってますか?」
彼女は剥ぎ取られた洋服を手繰り寄せながら言った。すらっとした上半身が鏡に映る。光量の落ちた部屋の中でしなやかな体が白く浮き立って見えた。鏡の中の彼女と現実の彼女の調和が幻想的だ。
「寂しいと死ぬって?」
それはデマだ。大体そんなちょっと調べれば分かるような事がなんで広まっているのだろう。冷たい炎なんて実際はありえないものまで表現しようとするどこぞの詩人の功績だろうか。
「それじゃなくて、御伽噺の…」
「時計を持った奴が電波の国にご案内ってやつか?それとも亀に負ける怠け者は駄目ってやつか?」
彼女の消え入りそうな声を遮る。彼女はいつもゆっくりと話す。俺はそれがもどかしくて、どこか世間知らずなまるで隔絶された塔の中で育てられたんじゃないかなんて思える彼女を時折殴りたいなんて衝動に駈られるが、女に手を挙げる事は数少ない俺の美意識に反したし殴れられた彼女が俺を見つめるときの瞳に嫌悪が無くても激しく自己嫌悪に陥るだろうかうからそんな行動は取らない。代わりに言葉が乱雑になるし抱くときには荒々しく残酷な欲望を満たすのだがそれは直す必要も無いと思うし彼女はそのことについてはなにも言わない。
「自分を焼いて捧げた、兎の話です」
首を横に振る動作も緩慢だった。そのあと続く言葉も遅い。またいらつきが鎌首をもたげそうになるが押さえた。それよりもどうして急にこんな事をいいだしたんだろうと訝しむ。彼女はまるで砂漠の中でやっとみつけたオアシスを見るように、あるいは、ウェイトレスが持ってくる大好きなケーキを見るような表情を俺に向ける。彼女は可愛い。マスカラを付けなくてもいいほど長い睫毛が物憂げで、さらさらとした細い髪の毛は光を浴びると金色に光る。しかしその可愛さを自覚できない所が彼女を不幸にしている。俺は何も言わず黙って彼女に話の続きを促す。
「兎が、どうして自分の身を捧げたか、その理由がやっと分かりました。昔、この話を聞いたとき兎がどうしてそんな事をしたのか分かりませんでした。可愛そうで、泣いてしまいました。でも、違うんです。兎は始めから、食べられるために生まれてきたんです。他の道があったわけではないんです。ただ、食べられるためだけに」
彼女の口調はいつもより少し早かった。いつもよりしっかりしていた。にも関わらず焦燥感が沸き上がる。話の意図が掴めないからだ。表情からそれを読み取ろうとしても彼女の表情は穏やかであった。アルカイック・スマイルを浮かべている様にも見える。おかしい。おかしいのだが彼女の態度を見るとそんな事を感じるのは自分だけというような錯覚に陥る。みんなが赤信号でも渡るなら赤信号を守る奴はおかしい。まるでみんなが行ってしまった後に赤信号が変わるのをぽつんと待っているようような感覚に似ている。俺は何かを言おうとして結局何を言えばいいかわからずに口を閉ざすと彼女は手にしていた洋服を身に着ける。生温いような沈黙が部屋に満ちる。彼女は着替えを終えた。白のタートルと黒いミニスカート。すらっとした肢は隠されずにそのまま露出している。
「私は兎なんです。だから、全てを捧げたいんです」
か細い声。いつもの彼女だ。

彼女と出会ったのはケイタイの出会いサイトだった。「家出しました。どなたか泊めてください」という書き込みに「来れば?」と一言だけ書いて送ったら返事が来た。俺は進学の為に一人暮らしをしていた。泊める代わりに抱いてもいいという解釈だったからその日のうちに彼女を抱いた。彼女はどこかぎこちなかった。でもまさかそんな事はないだろうと思っていたのに初めてだった。彼女は初めてという事について何も言わなかった。俺は初めてって気付いたときに止めようとしたけど欲望に負けた。その日から1週間程彼女はいたがおれはその日以外彼女を抱かなかった。彼女は俺が大学に行ってる間にご飯を作ってくれたし、休みの日は二人で街をぶらぶら歩いたりカラオケをしたりボーリングをした。奪った行為は俺にとって刺だったけど彼女と過ごした時間は穏やかに過ぎた。もし見合い結婚したとすればこんな感じなのかもしれない。たまに彼女がみせる戸惑いが行為によるものなのか打ち解けてないのか家を出た事に関するのかは分からなかったけれど。この時間はいつまで続くのだろうなんて考え始めた時、「ありがとうございました。そろそろ帰ります」と彼女は言った。俺は「そう、がんばんな」と送り出した。そうだ、こんな時間がいつまでも続くわけではないのだ。引き留める事はできなかった。引き留めてどうなる?

しばらくして、彼女から連絡があった。一緒に食事をして、体を重ねた。しだいにどちらともなく連絡をして会う事が増えた。こんな関係が付き合ってる事になるのかどうかは俺は深く考えた事はない。彼女がなんで俺に連絡をしてくるのかも分からないのに。

彼女は俺の言葉を待っていた。しかしなんと言えばいいのか分からない。また沈黙が訪れるがさっきの沈黙より肌寒い気がする。俺は彼女の言葉を言葉としては理解しているのだがそれは「あいうえお」や「ABC」のように直接意味を表現しているように感じられなかった。全てを、さ、さ、げ、る?俺に?この俺に?いや、捧げるって何を?丸焼きにして食べてくださいと言っても俺にはカニバリズムの趣味は無い。彼女は確かに食べちゃいたいほどの容姿を持っているのは間違い無いのだがその頬に、胸に、太股にナイフを入れる場面を想像すると吐き気がした。当たり前だが捧げるっていうのは精神的な物だろう。具体的にどうするんだ?と口を開こうとして思いとどまる。そんな言葉を吐くべきじゃない。彼女が何か言いかけた俺を見つめている。
彼女は俺の庇護性を刺激する。その仕草、表情、言葉のすべてがどうしようも無く守ってあげたくなるのだ。ただその一方で俺はそんな彼女を壊してしまいたくなる。壊してどうなるのかわからない。ただ、壊す、綺麗な物だから、壊す。2つの感情は相反するもので両立することはできない。…でも、それは根本的な所で繋がっている。…好きだから。好きだから、守りたくなる。好きだから、壊したくなる。そう、俺は彼女の事が好きだった。
「俺は兎なんかより…お前が、好きだけどな」
話の脈絡としては十分おかしい事を承知の上でそれだけを言った。言ってしまった。好きなんて事は口にすれば気恥ずかしいだけでしかないのだけど俺は他に言うべき言葉を見つけられなかった。彼女は否定形で始まる俺の言葉に少し表情を翳らせたが続く言葉にえっと戸惑いをみせてそれから微笑んでさらに涙を流した。そんな彼女を見てやっぱり俺は守りたくなって、壊したくなってしまったけどそれはどちらか一方に振れなくてもいいのだろう。彼女は不器用だ。自分の可愛さに気付く事もなく、その女の子そのものの態度が男にどんな印象を与えるかも分かってない。そしてそれしか方法を知らない。俺も人の気持ち、自分の気持ちすらよく分からないくらい不器用だから、ただ二人の距離を縮める為だけの事ですらこんなにも時間がかかってしまった。

「…んっ」
俺は彼女に近づくとゆっくりと口付けをした。思えば抱く前以外に恋愛表現としてキスをしたのは今が初めてだった。だから、このキスは特別な意味を持っていて、彼女はそれに気付いたみたいで終ってから俺の胸に額を押し付けてもたれかかってきた。俺は黙って彼女に腕を回した。

「やっぱり、私は兎です。寂しいと死んじゃうんです。だから、出来るだけ側にいてください」
バッグの中から取り出したハンカチで涙を拭って彼女は言った。

俺は、それデマなんだぞ、なんて事は言わずにただ言う。「そうだな」

B.B.

2005年12月24日 駄文
 目が覚めた時、あたりはまだ暗かったから夜中に起きてしまったのかな、と思った。手と肢と背中に鈍い痛みを感じる。
 え?
 もう一度寝ようと思っていた私はその痛みの正体に気付いて思考が停止する。
 硬い感触。
 慌ててもう一度体を動かそうとしても、その無機質な硬さが私の自由を阻んだ。
 これってなんなの?
 その壁を指でなぞってみる。肢を動かそうとしてみる。壁は硬くて破れそうにない。
「誰か…」
 どうしていいのか分からない。呼びかけても返事は来ない。
「誰か!!いませんか!」
 声を大きくしてみても返答は無かった。

 眠気は飛んだ。この異様な状態を認識して鳥肌が立った。体が震える。私は「箱」の中に閉じ込めれてしまったみたい。腕も肢も、背中も伸ばす事が出来ないほど小さな箱。背中の箱に当っている部分が痛む。でも姿勢を変えることもできない。幸い息苦しくはないから、どっかから空気は入ってきてるんだろう。でも、光は入って来ない。今が昼か夜かも分からない。ただ、闇。

「助けて!」
 その叫びを何十回と繰り返してから、私はそれが無駄な事なんだと認めざるを得なかった。私の声以外何も物音がしない。私はただ一人でこんな目にあっている。どうして?私が何か悪い事をしたの?涙が溢れてくる。流れ出した涙を拭う事もできない。
 これが夢なら早く覚めて欲しい。でも、体に感じる痛みが私にリアリティを突きつける。叫んだ喉が乾く。もちろん飲み物なんて無い。食べ物も無い。このままここから出られないなら…私は…死ぬ。誰も知らない小さな箱の中で。いや、死にたくない。だから私はまた叫ぶ。
 ずっと、ずっと叫んでも、私の声はどこかに消えていくみたい。声が枯れてきてしまった。喉が乾いて痛い。唾液を口に溜めて飲みこむと痛みはちょっとだけ治まった。また叫ぶ気力はもう無い。誰かがきっと助けに来てくれる。だから今はじっとしてよう。体の痛みはもう麻痺してきている。私は目を閉じて何も考えないようにする。暗闇の静かな時間は起きていても眠っているように思える。

 目を開ければ、今までの事はやっぱり夢だったなんて思えたらいいのに、相変わらずの闇と体の感覚がこれは夢ではないって教えてくれた。血が通いにくいのか、手も肢も私にくっついているただの部品のような感じだった。喉が乾く。ヴォルヴィックが飲みたい。目やにがついてる顔も洗いたい。ここから出たいというよりも先にそんな事を思う。でもそれすらも適う事は無い。絶望的に悲しくて、また涙が溢れてくる。「助けて…」つぶやいても、どうしようもない現実の闇と拘束だけしかない。涙が止まらない。泣いても何も解決しない事は分かっていても。

 あ… トイレ…
 尿意を覚えるまでその事には気付かなかった。ううん、気付かないようにしていただけなのかもしれない。もちろん、トイレに行けるわけじゃない。つまりは、ここで…。気付いてしまっても、私は必死で我慢する。垂れ流すなんていや。そうは思っても、お腹が痛む。どんどん、我慢できなくなってくる。結果は分かりきっていた。でも、それを認めるのは嫌だった。必死な抵抗。けれどそれが蹂躙された事はいままで幾度と無くあったんだろう。
 私は痛みに負けて、それを吐き出してしまった。下着を濡らす生暖かい感覚。つつ、としたたり落ちる。どんどん広がっていく。その液体は下着だけじゃなくて私のお気に入りだったリズリサのスカ−トを濡らした。べっとりとした不快感。私は何も出来ない。小さな子供のようにおもらしをしても奇異の目で見られる事もないし欲望されることも同情されることもない。私は一人。どうしようも無く。

 このまま私は死んじゃうんだろうか。ご飯も食べれる訳じゃ無い。ああ、31のラムレーズンが食べたいなと思うとお腹がキュルキュルとなった。また、学校帰りに友達と31によってカラオケに行くなんて事はもうできないのかな。一緒にショッピングにいく事も映画も見る事もできないのかな。お母さんにもお父さんにもお兄ちゃんにももう会えないのかな。そして…私がちょっといいなと思っていたユウくんと話す事ももう出来ないのかな。
 死ぬ間際の人は走馬灯を見ると言うけど、私は自分から楽しかった日常を思い出していた。もう会えないなら、ユウくんに告白しておけば良かったのかもしれない。でもユウくんと付き合っていたとしたら、私はこの状況でユウくんに希望を求めてそしてもっと大きな絶望を味わっただろう。どっちが良かったのかはわからない。ユウくんがOKしてくれたかどうかもわからないのに。また涙が出てくる。

 空腹感が強くなってくると、食べ物のことばかり考えてしまう。お寿司、焼肉、ミートソースのパスタ、いちごジャムのトーストとミルクティー。そしてその手が届かない食べ物は思考から消える。また私はグチャグチャになった下着を濡らす。もう我慢はしない。触れている部分はかぶれて痒くなっているので肢をこすり合わせるようにするけど染み出す液体が不快。鼻が麻痺してしまっているので匂いが感じられないのが救いといえば救いだろうか。こんな情けない姿になっても、私はまだ生きている。生きてしまっている。涙も、まだ溢れてくる。喉の渇きに押されて涙を口にする。その味に、また涙が溢れてくる。もう…私は…死んでしまいたい。
 息を吐いて、吐いて、そこで止める。息を吸わないように我慢しても、苦しくて辛くて息を吸いこんでしまう。体はどうしても生きていこうとする。水死する人は肺の中が水でいっぱいらしい。そこに空気が無いって分かっていても、水が肺に入れば死ぬって分かっていても吸わないではいられない。人はそんな簡単には死ねない。
 歯に舌を挟んで噛む力をこめる。痛い。一息にと思ってギュっと噛んだら、切れて血が溢れ出した。舌は繋がっている。傷も深くはないみたいだった。でもこんなに痛い。痛い。痛い。もういやだ。舌を噛みきってもすごい痛くて痛くて苦しみながら死ぬんだろう。中世の貴族は拷問された時の為に身近に毒薬を持ってたと言うけど、今ならその気持ちが分かる。死ぬ事すら出来ない。…ううん、やっぱり死にたくはない。お願い。誰か、助けて。

 汚物にまみれて動けない私はしだいに考える事も放棄していった。寝てる時と起きている時の境界が徐々にあいまいになっていく。人は暗闇の中に5日間放棄されたら発狂するって言うけど、私はまだ狂ってはないと思う。時間の感覚が無いから、まだそうなってないだけかもしれない。…もう、狂ってしまいたいのに。寝てるのか意識を失ってるのかももうよく分からないけど、そこから目覚めたくは無いのに。あああ、ユウくん、お兄ちゃん、お母さん、もういやだよ…。涙が、出なくなっていた。殺して、ううん、助けて、誰か、そう誰でもいいの。私の全てをあげるから。

 
 この世界の何処かで一人の女の子が冷たくなっていきました。

 メリークリスマス。黒い箱を、君に。
自分には朝日新聞って中国様の奴隷になれって書いてあるようにしか思えなかったんだけどそうでもないのかもね。

中国が東シナ海の天然ガスを吸い尽くそうとしているパイプラインって
なんと日本の金で作られたらしい。

12月1日の国際協力銀行分割についての記事によれば

旧輸銀が96年に中国に融資した1億2000万ドルの結果だって。
この時中国は2回目の核実験をした頃で、外務省が援助削減の外交圧力を掛けたにも関わらずアンタイド・ローン(ひもなし援助。円借款と同じ効果。まぁほぼやっちまってるようなもの)を決めたと書いてあります。

マネー外交が正反対に動いた一員は旧輸銀が旧大蔵省の管轄で
円高と国際収支の黒字の膨張という中で海外への資金還流が課題になってたからって事らしい。

ホント自分達の権益を守る事しか考えてないよな…

驚いたのはその事を「結果的に国益に反する融資だった」と書いてあった事。
あの朝日が。国益! 鼻血吹きそうになりました。

そっかそっか。朝日が国益か〜。

結局現実を見ないで理想を追っかけてるだけなのかもね。

この記事で思うんだけどさ、もし日本も核実験をするとしたら
絶対文句言うだろ、中国。自分はやっておいて。

9条改正とかちょっと話題になるたびに侵略戦争への布石とか言うし。
自分は靖国参拝は初詣でどこぞの神社に行くのや
家で仏壇拝むのと変わらないくらいどうでもいい事だと思うけど
それすらもすぐにそっちに話持っていくし。
自分は天然ガス奪おうとしといて。

中国はいまだに王様でいるつもりなんだろうね。中華思想ってやつ。

総合的な国力で見て現時点では日本は中国を上回ってるでしょう。
それが気に食わなくてたまらないんだろうね。

だから日本の武力を押さえ、金をたかる。
もっともらしく「平和」とか「経済協力」とか「過去の謝罪」とか理由つけて。

日本人お人好し過ぎますよ。

椎茸ってあるじゃん。今中国産が国内でもすごい出まわってるんだけど
あれって日本人が貧しい山村部の中国人の為に技術指導したんだよね。

そしてその技術で大量生産。日本に大量輸出。
その技術指導した人なんて村八分状態になったらしいよ。

これは日本にも買い手がいるという面もあるんだけど、
中国は元々がそういう国だよ。
自分さえ良ければ全て良いという側面が強すぎ。
端的に言えば、人の体すら部品や食料にすらすぐさま思えてしまう感性。

恩を仇で返すって訳じゃなくて元々恩を感じない。自分を正統化する。

そんな国にせっせと援助してる訳ですよ。

思想も戦力も金も、朝日のスタンスはキャバ嬢に貢いでるような物。
なにも見返りがない。

見返りがない所かとても恐ろしい。

中国が世界の頂点に立つ事を想像すると倒れそうになる。
今実質的に世界の頂点にいるのは米国だろうけど
やっぱりその方がましだ。大量破壊兵器をでっちあげて石油を奪った国だけど
日本とはある程度仲良くしてくれている。
これが中国だったら絶対下等の扱いになる。米国にもそれがいっさい無いとは言わないけど。

だったら日本がアジア圏の中心となるように動くべきだとまでは言わないけど、
2択だとしたら自分は後者を選びますけどね。
それは殺されるなら殺すっていう理論じゃなくて
日本人ってのほほんとしてるからさ、中心になってもあまり害無いと思うんだけど。
別に中心にならなくても、今の状態よりちょっと上の
中国とかがめちゃめちゃな事を言ってたら
反論くらいはできる国であって欲しい。ODAもやっても構わんがその「恩」を感じさせるくらいにはして欲しい。まぁ価値観が違いすぎるんだけれど。

ただ平和を訴えていくとしても
武力も技術も金も何も無い国がそうした所で
それは説得力のある言葉になるんでしょうかね。

学校もにロクに行かなかくて他に能力も無い人間が
「東大なんて意味ないよ」っていうような物じゃないですかね。
 

でも…
100年後には世界はEU、米、露、中国を中心とした
4強になってしまっているでしょう。
今もし日中で戦争が起こったら米国は日本の味方になってくれるとは思うけど
50年後くらいには中国の味方になってしまうでしょう。
米中が冷戦状態のようになればまた別だけど。

中国には人口っていう根源的な力がありますからね。

その事を考えれば
今から中国様に媚を売っておくのは間違いじゃないかもしれませんね。



でも俺は嫌。

未来に生まれなくて良かった。

でも、子孫が生まれなった方が良かったなんて言われない様にはしたいよね。

…個人でできる事なんてないわけですが。悲しいね。
 

P.S. これとは別に戦後日本の「東京裁判」を始めとする日本の変遷すべて、中国への奴隷化ですら、「戦争に負けたのだから仕方ない」という考え方をしている人達もいます。
潔い。潔いが… ごめん。さすがにそれも嫌。

台湾じゃ国民党躍進か…もう駄目だ。

※ この文章は事実に基づかない偏見をある程度織り込んで書かれています。

P.S.2 ほぼ同義だと思うけど「媚びを売る」と「媚びる」の違いって何だろ?

乖離

2005年11月28日 駄文
例え話って本質から乖離してくよね。

前の日記の自衛軍を子供のおもちゃの取り合いに例えたのはまさにそうだけど
自分が言ったのだってね、どこにそんな殺人者がいるんだと。

本質で言えば国の自衛は当然。以上なんだよね。

下手に例えを持ち出すから歪む。
むしろあえて簡単な例えを使って話をすり替え誘導してるのかもね。

今日も同様の投稿来てましたよ…

あえてこちらも例え話で言おう。
軍がいらないっていうのは警察をいらないって言うのと同義なんだぞ。
話し合いで犯罪者と和解できるか?
極刑を望みますって直訳すれば殺せよだぞ?

…ちょっといいすぎだけど。つーか多分何言っても通じないんだろうね。
平和=軍隊いらないとか洗脳されてるとしか思えない。
(これぞまさに「戦後教育」ってやつなんだろうね)
武力で勝ち得た平和も武力で守られる平和もあるのに。
もちろん武力重要って言ってるわけじゃないですよ。(消極的肯定)
ただ、理想だけじゃなくていろいろ比較検討するべきだと思うんだけどね…

例え話と言えば実際ゴーマニズム宣言もそんな感じはあるんだよね。

自分は意見ってそう思うってだけでそれが正しいとは思えないからなぁ。
そちらの方がいいんじゃないのかな、って思うだけ。

ゴーマニズム宣言の中で著者は意見の相対化が嫌いって言ってたけど
俺は基本的に相対化しちゃうんだよね。
それで、おれはこう思うんだけどどう?ってだけ。
相対化が嫌いなだけあって自分の意見がかなり正当化されてるように感じるんだよね。ある程度誘導を用いて。
漫画という端的な表現法では仕方無いのかもしれないけど。

まぁ、自分の意見を正当化して主張するのが言論だからなぁ。
言論好きだけど向いてないのは間違い無いね。やるつもりないですが。
読むだけでですよ。基本は。

ああそうだ、日常会話でも(特に女の子)
「例えば〜だったら〜じゃない?」という子の「例えば」って
飛躍しすぎてる事が多いよな〜。

でも、「そうだね」って言っておくのが正解な件。
やっぱり朝日新聞好きじゃないわ。

読者投稿のコーナーなんだけど

子供がおもちゃを取られたとき相手をたたいたりしたらすぐ怒って
返してと言葉で表現するようにしつけてるのに
国が軍を持つのは子供にどう説明すればいいんだ
子供のポケットにナイフを持たせるのと同じじゃないかって意見が合ったんですよ。

投書を例にしてしまってはいるけど
これが朝日のスタンスであり、熱心な読者層の思う事だと思う。

では聞くけど、ナイフを持ったヤツが来たときに
貴方は自分の子供を守るために戦わないのか?
子供共々殺されるのか? と言いたい。
自分なら戦う。

そこで話し合い(お金?)で解決できることもひょっとしたらあるかもしれない。
そいつが強盗ならそれで済む事もありますがそれは価値観が同じじゃないとなりたたないんですね。

現に見つかったら殺してしまえばいいっていう価値観の人が一家殺人起こしている。
まぁこれはアノ国の人なわけだけれど。
日本人なら説得されて帰るとか結構記事になるけどね。見つかったら殺す人もいるでしょうが。

子供のおもちゃのケンカを持ち出して自衛軍を批判するのは滑稽だ。

国が違うって事はかなり価値観が違うわけですよ。
アノ国は基本的に自分が良ければすべて良しっていうのが中心的な考えなんですよ。

そこで殺人者に殺されるがままの国なんて自分は嫌だ。

自分の意見が正しいとは言いません。それは押しつけになってしまうしね。

じゃぁ貴方はその時に子供共々殺されてくださいと言うだけです。

ユートピアなんて存在しないって事くらいは薄々分かっているでしょうに。

P.S. だけどユートピアを目指すべきなんだと思う人もいるかもしれない。けどそれはユートピアを目指したくない人もいるという時点で成り立たない。現実にはそういう人もいる。

1 2

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索