1番印象に残っていること。
正午に仕出し弁当を食べたばかりなのに
15時に精進落としは食べられません…
その1時間前、ソレは元の形を失っていた。
まるで部分部分を切り取ったような。
強すぎる火力は骨すらも灰へ変えてしまっていた。
その中で残っているものを壺に納めていく。
それでも入れるのには大きすぎた部分もあった。
躊躇。それは既にモノでしかないはずだけどモノではない。
葬儀社の人間がその、大きすぎた骨を箸で砕いで壺に納めた。
軽い、ぱりぱりとした音が響く。
ああ、この事務的な事をできる人間がこの場には必要なんだ。
その28時間前でも、それは同じだった。
目を閉じたままの顔は安らかだった。
要介護状態だった祖母を取り巻く環境は
アレなんかよりももっと、もっとドロドロのグチャグチャで
僕ごときではどうしようもなくどうしようもない問題だったけど
そんな事も感じられないほどに。
そんな中、プログロムを淡々と進めていく葬儀社の人間に取って
そんな事は数ある事の1つでしかなかったのだろう。
喜劇も悲劇も何もかも
繰り返されれば単なる事象でしかなくて
それは人を麻痺させるには十分だ。
その22時間前、僕は電話で起こされていた。
突然の訃報で時間もなくて焦っていたのか動揺していたのかはわからない。
コンタクトを片方無くして
着替えもYシャツは持っていったけど下に着るシャツは1枚しか入れなかったし
靴下は入れたけどトランクスは忘れて
ノーパソは持っていったけどアダプタを忘れた。
さらに車をぶつけた。
ご飯を食べる時間もなかった。
悲しかった??
その74時間後、僕はまた飛行機に乗っていた。
弟は学会での発表があるらしく時間を取れない状況だった。
自分は何もすることなど無かったのだけど
年末年始の飛行機は埋まっていたので同じ便に乗った。
顔だけ出して帰るような状況には少し嫌悪感を感じる。
事実それはその通りなんだけれど。
「わしももうじきしたら逝くからな、先にいい場所取って置いてくれよ」
通夜の席で祖父が言った言葉。
その言葉でその場は凍り付いて、呼吸音すら無くなっていた。
…。
僕ごときの人生経験じゃ何を言えばいいのか分からなかった。
まだ元気に長生きしてくださいなんて言えなかった。
…泣きそうだった。
19日 飛行機
20日 通夜
21日 葬儀
22日 飛行機
正午に仕出し弁当を食べたばかりなのに
15時に精進落としは食べられません…
その1時間前、ソレは元の形を失っていた。
まるで部分部分を切り取ったような。
強すぎる火力は骨すらも灰へ変えてしまっていた。
その中で残っているものを壺に納めていく。
それでも入れるのには大きすぎた部分もあった。
躊躇。それは既にモノでしかないはずだけどモノではない。
葬儀社の人間がその、大きすぎた骨を箸で砕いで壺に納めた。
軽い、ぱりぱりとした音が響く。
ああ、この事務的な事をできる人間がこの場には必要なんだ。
その28時間前でも、それは同じだった。
目を閉じたままの顔は安らかだった。
要介護状態だった祖母を取り巻く環境は
アレなんかよりももっと、もっとドロドロのグチャグチャで
僕ごときではどうしようもなくどうしようもない問題だったけど
そんな事も感じられないほどに。
そんな中、プログロムを淡々と進めていく葬儀社の人間に取って
そんな事は数ある事の1つでしかなかったのだろう。
喜劇も悲劇も何もかも
繰り返されれば単なる事象でしかなくて
それは人を麻痺させるには十分だ。
その22時間前、僕は電話で起こされていた。
突然の訃報で時間もなくて焦っていたのか動揺していたのかはわからない。
コンタクトを片方無くして
着替えもYシャツは持っていったけど下に着るシャツは1枚しか入れなかったし
靴下は入れたけどトランクスは忘れて
ノーパソは持っていったけどアダプタを忘れた。
さらに車をぶつけた。
ご飯を食べる時間もなかった。
悲しかった??
その74時間後、僕はまた飛行機に乗っていた。
弟は学会での発表があるらしく時間を取れない状況だった。
自分は何もすることなど無かったのだけど
年末年始の飛行機は埋まっていたので同じ便に乗った。
顔だけ出して帰るような状況には少し嫌悪感を感じる。
事実それはその通りなんだけれど。
「わしももうじきしたら逝くからな、先にいい場所取って置いてくれよ」
通夜の席で祖父が言った言葉。
その言葉でその場は凍り付いて、呼吸音すら無くなっていた。
…。
僕ごときの人生経験じゃ何を言えばいいのか分からなかった。
まだ元気に長生きしてくださいなんて言えなかった。
…泣きそうだった。
19日 飛行機
20日 通夜
21日 葬儀
22日 飛行機
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