歪な舌・嗜好/指向性
2006年9月20日 日常好き嫌いはあまりない。
ひじきとトマト(特にプチ)はあまり好きじゃないけど、
たぶんそれくらい。
ひじきは匂いがね…、トマトも。
丁度いい感じにアルコールが入った時、
トマトの青臭さ、生臭さはアレに似てるからなんて言ったら
顰蹙買ったっけね。馬鹿だね。
養殖の刺身と天然の刺身を比べてみれば
天然の方がおいしいんだけどそれってなんでだろうね?
さも当然の様に言ってしまってるんだけどさ。
実際健康な育ちの方が味の成分もいいなんて微塵も根拠ない話だよね。
例えばフォアグラなんて病的肥大の肝臓で
健康な肝臓は食べたことないんだけど
おそらくフォアグラの方がおいしんでしょう。
マグロもね、俺は赤身の方が好きなんだけど
(安いのは中トロの方がいいと思うけど)
それって一般的じゃないわけじゃん。
江戸時代では大トロなんて猫またぎ(猫も食べない)って言われてたらしいけどさ。
牛丼がちょっと復活したけど
東大大学院の学生が「ジューシーな味が懐かしかった。米国産牛肉に不安がないわけではないが、おいしさの方優先します」なんて言ってた。
多分自分は悲しい程に雑食なんだろうね。
嗜好すらはっきりとしたものを持てずに。
俺も牛丼は好きなんだけど、ホントに好きなのは煮てあるのじゃなくて焼いてある牛丼で、玉ねぎは少し生の感覚が残っててピリっとしてるのがいいから作るか作って貰うしかない。
でもチェーンの牛丼だってそこそこ美味しく食べられちゃうんだよね。
それは、チェーンが30点で自作が90点というような序列的な物ではなくて
チェーンは赤色で自作は青色というような個別的な物みたいに感じてしまう。
ちょっと青色の方が自分はいいかな、っていうそれだけの感覚。
カップラーメンやウィダーやカロリーメイトなんて
まんま工業製品で人間の「エサ」って感じがして
少し悲しくなってしまうんだけど
(見えずらいだけでブロイラーとかだってそうなんだけどね)
それでもおいしく食べられちゃう自分がいるんだよね。
そりゃ普通のご飯と製品があるなら普通のご飯選ぶけど
家にカップラーメンしか無ければ
外に行くのもめんどいしそれでいいかって感じで。
食べ物のことですらはっきりした事を思えない自分。
たぶん、不味い物は食べれないって子の方がが遥かに向き合ってる。
怠けてる? あああ、えーと、うん、違うんだよ。
味覚ってのはそもそもなにかって言えば、受容体への刺激なんだよね。
脳で感じてる。電気信号なんだよね。
そう、だから…
「いや、だからよ――俺があんたと一緒にこうやって食事してる、こういう感覚のことを“おいしい”って言うんだろう? つまり俺からすると、あんたの印象が“おいしい”ってことになるのか? こういう感覚のことなのかな」
(BEAT’S DISCIPLINE SIDE2)
何を、より誰と、で。
いいのかな…?
ずっと向き合って同じ時間を重ねていくなら
料理の腕ってのは相当に重要なのかもとか、ふと、思った。
いや、差別主義じゃないですよ? 主婦でも主夫でも同じですよ?
ひじきとトマト(特にプチ)はあまり好きじゃないけど、
たぶんそれくらい。
ひじきは匂いがね…、トマトも。
丁度いい感じにアルコールが入った時、
トマトの青臭さ、生臭さはアレに似てるからなんて言ったら
顰蹙買ったっけね。馬鹿だね。
養殖の刺身と天然の刺身を比べてみれば
天然の方がおいしいんだけどそれってなんでだろうね?
さも当然の様に言ってしまってるんだけどさ。
実際健康な育ちの方が味の成分もいいなんて微塵も根拠ない話だよね。
例えばフォアグラなんて病的肥大の肝臓で
健康な肝臓は食べたことないんだけど
おそらくフォアグラの方がおいしんでしょう。
マグロもね、俺は赤身の方が好きなんだけど
(安いのは中トロの方がいいと思うけど)
それって一般的じゃないわけじゃん。
江戸時代では大トロなんて猫またぎ(猫も食べない)って言われてたらしいけどさ。
牛丼がちょっと復活したけど
東大大学院の学生が「ジューシーな味が懐かしかった。米国産牛肉に不安がないわけではないが、おいしさの方優先します」なんて言ってた。
多分自分は悲しい程に雑食なんだろうね。
嗜好すらはっきりとしたものを持てずに。
俺も牛丼は好きなんだけど、ホントに好きなのは煮てあるのじゃなくて焼いてある牛丼で、玉ねぎは少し生の感覚が残っててピリっとしてるのがいいから作るか作って貰うしかない。
でもチェーンの牛丼だってそこそこ美味しく食べられちゃうんだよね。
それは、チェーンが30点で自作が90点というような序列的な物ではなくて
チェーンは赤色で自作は青色というような個別的な物みたいに感じてしまう。
ちょっと青色の方が自分はいいかな、っていうそれだけの感覚。
カップラーメンやウィダーやカロリーメイトなんて
まんま工業製品で人間の「エサ」って感じがして
少し悲しくなってしまうんだけど
(見えずらいだけでブロイラーとかだってそうなんだけどね)
それでもおいしく食べられちゃう自分がいるんだよね。
そりゃ普通のご飯と製品があるなら普通のご飯選ぶけど
家にカップラーメンしか無ければ
外に行くのもめんどいしそれでいいかって感じで。
食べ物のことですらはっきりした事を思えない自分。
たぶん、不味い物は食べれないって子の方がが遥かに向き合ってる。
怠けてる? あああ、えーと、うん、違うんだよ。
味覚ってのはそもそもなにかって言えば、受容体への刺激なんだよね。
脳で感じてる。電気信号なんだよね。
そう、だから…
「いや、だからよ――俺があんたと一緒にこうやって食事してる、こういう感覚のことを“おいしい”って言うんだろう? つまり俺からすると、あんたの印象が“おいしい”ってことになるのか? こういう感覚のことなのかな」
(BEAT’S DISCIPLINE SIDE2)
何を、より誰と、で。
いいのかな…?
ずっと向き合って同じ時間を重ねていくなら
料理の腕ってのは相当に重要なのかもとか、ふと、思った。
いや、差別主義じゃないですよ? 主婦でも主夫でも同じですよ?
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