5時間待たされて、8時間ドライブ(220km)させられた。
言葉として書いてしまえばそれだけの事だ。
事実、僕だってその最中はまるで他人事のように考えていたのだから。何も思わなかったのだから。いや、馬鹿なヤツがいるななんて事は思ったけれど。
突然雨が振り出した日、出掛けにたまたま見た天気予報の降水確率30%を気にして持っていった傘が、帰り際に消えている。解決するのは簡単だ。お気の毒です、誰かさん。
悪意は簡単に連鎖する。
しかし、僕はそれを恐れる程にまとまな人間ではなかった。ただ、護れなかった約束が枷となり、見せてしまった夢が鎖になっているだけの話だ。
彼女が僕を待たせた理由は残業だった。さもそれが自分の責任で無いかのように言いつくろう。ゴメンという記号はもはや儀式。許さないという選択は儀礼の中にはない。
仕事に恋愛は不要だという事は実際に勤めてから分かる事だろう。その頃の彼女はまだ働いてなかったから、無理を言うのも仕方無いことだったのかもしれない。僕は睡眠不足のまま仕事場とホテルを行き来する事もあった。それでも足りなくて、時には泣いていた、そんな彼女が何時の間にか僕よりもはっきりとその事を自覚するようになっている。
だったら、それでいい、なんてのは付け加えた理由だ。
ドライブだって、JTCを2回も間違えなければ3時間で済んだはずだった。道が分からないなら一般道で行こうと主張すればいいだけの事だった。あるいは、もしナビがついていればそもそもこんな事は起こらなかった――自信満々に間違った分岐を案内したのは彼女だったのだけど。
だから、どうでもいい、なんてのは理由ですらない。
運命なんてものを持ち出すとすれば、今日、僕の仕事が休みじゃなければこんな事は起こらなかった。つまり、それは抗うことはできないというだけのことでしかない。
流行りの音楽を繰り返し掛けて覚えるという非生産的な時間潰しで彼女を待っている時、僕の車に近づいてきた集団が2組あった。
1組目は、女の子の4人組だった。揃いも揃って脱色したロングにワンピース。違うのは服の色だけという風体…ただものにあらず。
「乗せてくれませんか?」
「立川まで」
「渋谷でもいんですけど」
「お金なくて」
「お願いします」
最後のセリフは4人でだった。揃ってるなんて事は無くて口々にだったけれど。それにしても――知らない人に付いて言っちゃ駄目だってお母さんに習わなかったのだろうか。いや、そんな問題でもない。そもそも問題ではない。所詮行き摩りの子達だ。行幸だろう、まざまざしく壊れだした世界ってのを見せてくれる稀有な存在に出会えたんだから。
なるべくそうは見えないように愛想笑いを浮かべ、僕は人を待っていることを告げる。
「いつ待ち合わせ?」
「女の子?」
「もう来るの?」
あぁ、逐一答えていくのも面倒なのに。
「じゃぁ私たち邪魔だよね…」
最後の言葉は、まともだと思った。
まとまな程に、壊れていた。
2組目は、警察官だった。何の事はない、職質だ。こんなに遅くにご苦労様だ。こういう地道な積み重ねが見えない所で役に立っているのかもしれない。誰も気にしないような貢献は評価されるべきなのだろうか。といっても、僕は何をしている訳でもない。だから、これは無駄な努力、税金の無駄でしかないのだけど。
免許証を取り上げられ、無線機で何事か確認される。わざわざ車から離れて確認するのは嫌がらせとしか思えない。任意ですか?という言葉が浮かんだが、僕は何も(以下略)。付け加えるならばナイフが入ってる訳でもない(時事ネタ)。
「遠くを、見てたから」
わざわざ、なぜ職質したかなんて理由を述べてきた。
そんなものは付け加えた理由でしかない。そんな事は分かってるのに…
空いていた道路が混み始めて来た。彼女は疲労の為にぐったりしていた。
当ての無いような迷走を続ける。ビルの頂上を、霧が覆い隠していた。
彼女はぽつりと、霧の中に溶け込ませるように。
「私が何年後かに死んだらどうする?」
あの頃の言葉に重なった。
「生きててもいい事なんてないよね」と彼女は言った。
「じゃぁ一緒に死のうか?」と僕は答えた。
「それもいいね…」という彼女の返事は溶け込むように消えた。
そんな掛け合いを実現するつもりは二人とも無かったのだけれど。
「君が死んだら僕は後追いするけどね」
そんな兼ね合いを実際するつもりは諷意にも無かったのだけれど。
いくらか年月が経った頃に、今度は僕から重ねた。
「一緒に死のうか?」
そんなつもりがあるわけでもない。それはただの冗談で。
「イヤだよ」
それが生きてる事が幸せだと思えるようになったからだというなら喜ばしい事だった。でもそれもやっぱり冗談で。
時間が戻る。僕は思い出したように尋ねる。
「それは何年後くらいなの?」
例え話にディテールを求めるほど無為な事は無い。だから彼女の返事は無くて、僕は続ける。
「死ぬまでの間に一緒に居られるのかな…」
どうするかという事に対して応えないままの返事は、もう冗談では無かったというだけの事でしかない。
僕も彼女も、正しく壊れていた。
綺麗なほどに壊れていた。
余計なモノが壊されてしまって、純粋になれたと言っていいのかもしれない。河床を浚渫し、河道を拡げれば洪水が減るように。剪定された樹木の方が健やかに育つように。
雨がフロントガラスを濡らす。水滴のモザイク越しに世界が歪んで映る。
僕と、君は、
遠くを、見ていた。
言葉として書いてしまえばそれだけの事だ。
事実、僕だってその最中はまるで他人事のように考えていたのだから。何も思わなかったのだから。いや、馬鹿なヤツがいるななんて事は思ったけれど。
突然雨が振り出した日、出掛けにたまたま見た天気予報の降水確率30%を気にして持っていった傘が、帰り際に消えている。解決するのは簡単だ。お気の毒です、誰かさん。
悪意は簡単に連鎖する。
しかし、僕はそれを恐れる程にまとまな人間ではなかった。ただ、護れなかった約束が枷となり、見せてしまった夢が鎖になっているだけの話だ。
彼女が僕を待たせた理由は残業だった。さもそれが自分の責任で無いかのように言いつくろう。ゴメンという記号はもはや儀式。許さないという選択は儀礼の中にはない。
仕事に恋愛は不要だという事は実際に勤めてから分かる事だろう。その頃の彼女はまだ働いてなかったから、無理を言うのも仕方無いことだったのかもしれない。僕は睡眠不足のまま仕事場とホテルを行き来する事もあった。それでも足りなくて、時には泣いていた、そんな彼女が何時の間にか僕よりもはっきりとその事を自覚するようになっている。
だったら、それでいい、なんてのは付け加えた理由だ。
ドライブだって、JTCを2回も間違えなければ3時間で済んだはずだった。道が分からないなら一般道で行こうと主張すればいいだけの事だった。あるいは、もしナビがついていればそもそもこんな事は起こらなかった――自信満々に間違った分岐を案内したのは彼女だったのだけど。
だから、どうでもいい、なんてのは理由ですらない。
運命なんてものを持ち出すとすれば、今日、僕の仕事が休みじゃなければこんな事は起こらなかった。つまり、それは抗うことはできないというだけのことでしかない。
流行りの音楽を繰り返し掛けて覚えるという非生産的な時間潰しで彼女を待っている時、僕の車に近づいてきた集団が2組あった。
1組目は、女の子の4人組だった。揃いも揃って脱色したロングにワンピース。違うのは服の色だけという風体…ただものにあらず。
「乗せてくれませんか?」
「立川まで」
「渋谷でもいんですけど」
「お金なくて」
「お願いします」
最後のセリフは4人でだった。揃ってるなんて事は無くて口々にだったけれど。それにしても――知らない人に付いて言っちゃ駄目だってお母さんに習わなかったのだろうか。いや、そんな問題でもない。そもそも問題ではない。所詮行き摩りの子達だ。行幸だろう、まざまざしく壊れだした世界ってのを見せてくれる稀有な存在に出会えたんだから。
なるべくそうは見えないように愛想笑いを浮かべ、僕は人を待っていることを告げる。
「いつ待ち合わせ?」
「女の子?」
「もう来るの?」
あぁ、逐一答えていくのも面倒なのに。
「じゃぁ私たち邪魔だよね…」
最後の言葉は、まともだと思った。
まとまな程に、壊れていた。
2組目は、警察官だった。何の事はない、職質だ。こんなに遅くにご苦労様だ。こういう地道な積み重ねが見えない所で役に立っているのかもしれない。誰も気にしないような貢献は評価されるべきなのだろうか。といっても、僕は何をしている訳でもない。だから、これは無駄な努力、税金の無駄でしかないのだけど。
免許証を取り上げられ、無線機で何事か確認される。わざわざ車から離れて確認するのは嫌がらせとしか思えない。任意ですか?という言葉が浮かんだが、僕は何も(以下略)。付け加えるならばナイフが入ってる訳でもない(時事ネタ)。
「遠くを、見てたから」
わざわざ、なぜ職質したかなんて理由を述べてきた。
そんなものは付け加えた理由でしかない。そんな事は分かってるのに…
空いていた道路が混み始めて来た。彼女は疲労の為にぐったりしていた。
当ての無いような迷走を続ける。ビルの頂上を、霧が覆い隠していた。
彼女はぽつりと、霧の中に溶け込ませるように。
「私が何年後かに死んだらどうする?」
あの頃の言葉に重なった。
「生きててもいい事なんてないよね」と彼女は言った。
「じゃぁ一緒に死のうか?」と僕は答えた。
「それもいいね…」という彼女の返事は溶け込むように消えた。
そんな掛け合いを実現するつもりは二人とも無かったのだけれど。
「君が死んだら僕は後追いするけどね」
そんな兼ね合いを実際するつもりは諷意にも無かったのだけれど。
いくらか年月が経った頃に、今度は僕から重ねた。
「一緒に死のうか?」
そんなつもりがあるわけでもない。それはただの冗談で。
「イヤだよ」
それが生きてる事が幸せだと思えるようになったからだというなら喜ばしい事だった。でもそれもやっぱり冗談で。
時間が戻る。僕は思い出したように尋ねる。
「それは何年後くらいなの?」
例え話にディテールを求めるほど無為な事は無い。だから彼女の返事は無くて、僕は続ける。
「死ぬまでの間に一緒に居られるのかな…」
どうするかという事に対して応えないままの返事は、もう冗談では無かったというだけの事でしかない。
僕も彼女も、正しく壊れていた。
綺麗なほどに壊れていた。
余計なモノが壊されてしまって、純粋になれたと言っていいのかもしれない。河床を浚渫し、河道を拡げれば洪水が減るように。剪定された樹木の方が健やかに育つように。
雨がフロントガラスを濡らす。水滴のモザイク越しに世界が歪んで映る。
僕と、君は、
遠くを、見ていた。
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