緩やかな崩壊、あるいは終焉なんてほとんどの人には
どうでもいい事なんだと思う。
南極の穴にしろ赤い種にしろ
実のところ大層な問題として報じられている割に感心は薄い。
自分では何かできる領域の話じゃないということもあるでしょう。
もしくはそのことは普遍的でしかないのかもしれません。
形あるものがいずれ壊れるように。
そして緩やかに進んでいるのは自分もそうであるように。
エントロピーに可逆性がない事を
当たり前のように受け入れなければいけないのだとすれば
それについて反応する感情だって持ちようがないでしょう。
だから
出生率がお約束のように「最低を更新」しても
それはどうでもいいことなんだろうと思う。
今までに比べ大きな幅であろうとも
それが何を意味しているのかとリアリティを持って想像する人はいない。
ニュースのアメリカ兵の誤射での犠牲者数からは
散らばっている体躯と歪んだ表情を想像する事ができないように。
あるいはなお、想像したところで
自分では何かできる領域の話じゃないというのはその通りなのだけど。
出生率の低下ははけっこう大きな問題とされているみたいで
政府もいくつかは対策を打ち出しているが効果をあげているものは少ない。
そもそも対策されるべき必要が無かった時代こそが
出生率は高かったというのは対策の実効性は悉く裏切れてきたという事でしょう。
そう、全ては価値観の多様化。
それが進化というのならある意味悲しい事だと思う。
ばらばらにひろがっていくものは一つに戻ることが難しくなっていくから。
いや、それこそも緩やかな終わりへの序曲?
減少というのはただ理由も無く減っているわけではなくて
その減少した分は何かに置換されているのでしょう。
でも、そこで出生率の減少を価値観の多様化…
楽しみの、快楽の、発展と即座に結びつけても意味はない。
お腹が減った時に音楽を聞いても満たされないように
「育む」ことの代わりになる事はあるわけじゃないのに。
ネグレクトって言葉は最近聞くようになったけど
それはまだ一部の話で大多数の人ははぐくみを
幸せに思える感受性を失っているわけじゃない。
つまりは…育む対象が置き換わってしまっただけのこと。
与えるか、奪うかはいいけれど
与えれられるか、奪われるか、そんな選択はお気に召さずに。
「ペットは家族の一員」という言葉がありますが
どこをどうやっても動物は家族では無いんだよと言うのは
もはや少数派のようですね。
その飼育は、比較すればかなり楽だというので選ばれているなら
何もいう言葉を見つけられない。
閉ざされた世界でどうでもいいよとつぶやくなら、
CO2も海の膨張もあまりにも些細なことで。
間違って玉葱あげちゃったなんて事の方が大問題なんだろうね。
それは…もう…ゆるやかな…
どうでもいい事なんだと思う。
南極の穴にしろ赤い種にしろ
実のところ大層な問題として報じられている割に感心は薄い。
自分では何かできる領域の話じゃないということもあるでしょう。
もしくはそのことは普遍的でしかないのかもしれません。
形あるものがいずれ壊れるように。
そして緩やかに進んでいるのは自分もそうであるように。
エントロピーに可逆性がない事を
当たり前のように受け入れなければいけないのだとすれば
それについて反応する感情だって持ちようがないでしょう。
だから
出生率がお約束のように「最低を更新」しても
それはどうでもいいことなんだろうと思う。
今までに比べ大きな幅であろうとも
それが何を意味しているのかとリアリティを持って想像する人はいない。
ニュースのアメリカ兵の誤射での犠牲者数からは
散らばっている体躯と歪んだ表情を想像する事ができないように。
あるいはなお、想像したところで
自分では何かできる領域の話じゃないというのはその通りなのだけど。
出生率の低下ははけっこう大きな問題とされているみたいで
政府もいくつかは対策を打ち出しているが効果をあげているものは少ない。
そもそも対策されるべき必要が無かった時代こそが
出生率は高かったというのは対策の実効性は悉く裏切れてきたという事でしょう。
そう、全ては価値観の多様化。
それが進化というのならある意味悲しい事だと思う。
ばらばらにひろがっていくものは一つに戻ることが難しくなっていくから。
いや、それこそも緩やかな終わりへの序曲?
減少というのはただ理由も無く減っているわけではなくて
その減少した分は何かに置換されているのでしょう。
でも、そこで出生率の減少を価値観の多様化…
楽しみの、快楽の、発展と即座に結びつけても意味はない。
お腹が減った時に音楽を聞いても満たされないように
「育む」ことの代わりになる事はあるわけじゃないのに。
ネグレクトって言葉は最近聞くようになったけど
それはまだ一部の話で大多数の人ははぐくみを
幸せに思える感受性を失っているわけじゃない。
つまりは…育む対象が置き換わってしまっただけのこと。
与えるか、奪うかはいいけれど
与えれられるか、奪われるか、そんな選択はお気に召さずに。
「ペットは家族の一員」という言葉がありますが
どこをどうやっても動物は家族では無いんだよと言うのは
もはや少数派のようですね。
その飼育は、比較すればかなり楽だというので選ばれているなら
何もいう言葉を見つけられない。
閉ざされた世界でどうでもいいよとつぶやくなら、
CO2も海の膨張もあまりにも些細なことで。
間違って玉葱あげちゃったなんて事の方が大問題なんだろうね。
それは…もう…ゆるやかな…
コメント
代替フロンに置換が進んでるからね。
でもフロンガスのオゾンへの到達年数は15年で
破壊のピークが2020年、1980年の状態に戻るのは2050年頃だそうだよ。
ちなみに05年でのデータでは北半球はオゾン回復が見られるものの
南極の穴は依然として大規模に発達しているよ。
代替フロンはオゾンに影響はしないにしろ温室効果激高で
2020年に全廃が決まっているにも関わらず有力な代替品が無いこの事実。
いやはや自分に何かできるという話ではないのですが。