自由×第4権力

2006年3月27日 駄文
そこに自由を巡る争いがあって。
イスラム教の風刺画で問題になった通り
自由と自由がぶつかりあってどちらかの自由を制限しようとしてる。
そして自由同士でぶつかりあわないでも
自由の幅が広くなっていくと権利・規制ともぶつかりあうね。

それは、例えば、
プライバシー権と表現の自由。
個人情報保護法と報道の自由。
国家公務員法111条(秘密漏洩のそそのかしの禁止)と取材の自由。

プライバシー権と表現の自由だけど、
現在の所は公人に近い扱いでなければプラジパジーが優先される事になってるみたい。
だから、政治家の報道はいいけど、一般人密着24時間なんてのは駄目。
勝手に知人をモデルにしてほぼ実話な小説を書くのも駄目。
芸能人のプライバシーなんてのは何故かいいみたい。なんでだろうね。
それならまだいいけど、犯罪被害者や事故の犠牲者とかって許されるのかな。
マスコミはさも当然のようにそんな人達にまで知る権利を主張してる。
ホント反吐が出るね。

報道の自由っていうのは実際言論の自由と同義で
憲法21条で保障されているし大事な事だと思うけど。
だから真面目な報道をしようがくだらない番組を垂れ流そうが
そういう面では許容しなきゃいけないと思うんだけど。

やりすぎたからこそ、個人情報保護法ができたと思ってるんだけど
マスコミの反対キャペーンはすごかったよね。
まるで自分達は国民すべての代弁者であるかのように知る権利を連呼してたよね。
あとは、これでは政治家の報道ができなくなるとか。
それで多少修正されたわけだけど、マスコミが望んでたのは法案の廃案で
それは実際の所犯罪被害者や事故の犠牲者の報道もしたいからって事に他ならないよね。
実際、事故の犠牲者がマスコミに名前を教えないでって病院に頼んだことを
問題だって言っている記者がいたんだよね。

国が定めたラインは政治家とか国家に近いかもしれないけど
マスコミがいうラインなんてのはプライバシー権なんてほぼ認めないラインだよ。
これはものすごい問題だよ。
例えば、国なり政治家なりが不正をした場合は
いくら法で守ろうとしたところでみんなも黙って無いだろうし
裁判所だって判決でラインを調整できる。
だから、そのラインで法律が決まってもまだ廃案に比べれば問題が無かったんだ。

何故かっていうと、マスコミの横暴って誰が止められる?
マスコミは自分に都合の悪い事は封殺できるんだよ。
それどころか洗脳すらできる。
洗脳という言葉は言い過ぎかもしれないし、
洗脳されるほど馬鹿じゃないって言うかもしれないけど
比較対象を与えない事で検討させない事ができる。
個人情報保護法案の時に、犯罪被害者や事故の犠牲者のプライバシーが保たれるなんて
メリットを述べてたマスコミはあったかな?

そして、最近はまたそんなような問題が起こってる。

取材の自由っていうのは報道の自由とは違って
保障されている訳ではなくて十分尊重されているって事になってる。
何が違うかって言うのは簡単言えばちょっとは制限されるぞって事。

例えば、今の国税当局の職員の話題だけど、
これは、間違い無く漏らした奴が一番悪いのは間違い無いね。

だけど、その取材が無理やり聞き出すような物であったんではないかな。

国家機密との関係の判例が確立したのは昭和55年の西山記者事件だけど

その時、西山記者は外務省の女性事務官(既婚者)を口説いて体を重ねて!
機密文章の情報を手に入れたんだよ。

以下は女性事務官が「週刊新潮」誌上に発表した手記。
(けっこう長いです)

・・・

「『実はぼくは、近く記者としての生命を断たれるかも知れない。ぼくは記者としての生命を断たれるんだ。もうダメになってしまうんだ。外務省の書類を見ないと記事が書けないんだ。安川のところへ来る書類をこっそり見せてくれないか』いい終わった時、西山記者は手を合わせて拝む格好をしていた。私はいっぺんに目が覚めたような気持になった。そして、『そんなことできません』とほとんど叫ばんばかりにいい放った」「『ぼくを助けると思って頼む。安川にも、外務省にも絶対に迷惑をかけはしないから。ただ参考にするだけなんだ。見せてもらった書類はその場で返すから…』と、私の言い分など絶対に聞き入れない姿勢を見せた。いや、もし私が断わり続けたら、あのホテルから一歩も外に出してもらえなかったかも知れない」

 「西山記者からは、来る日も来る日も私のデスクに電話がかかる」「電話の彼の声は一方的で言葉短く、『頼む』の一言であった。しかし、あのコソコソ人に隠れて書類を持ち出す不道徳な気持はとても耐え難い。そして、もう、西山記者が私を誘った意図もはっきりとわかってきたのだ。私は電話に出るのがとても恐ろしくなっていった」「私は、西山記者が、彼と私の関係について夫や安川審議官に暴露するのではないかと恐れた」

 「書類を持ち出し始めてから、西山記者の私に対する態度は、かなり変っていった。もう『ホテル山王』で会っても、決して甘い言葉なんかささやかない。私をごくごく事務的に抱いて、あとは私が持っていった書類に目を通し、おたがいほとんど言葉を交わさずに別れる。間違いなく私は彼にひっかかっている」「私を一人の人間としてどう考えているのか。どうせ外務省の書類を見るために私を抱き、できれば私なんか抱かないで書類が見れないものかと考えているのに違いない」

 「結局、西山記者と毎日新聞は、いつも自分たちに都合のいいほうを向いて謝っている。新聞紙上に『遺憾の意』を表明したのもそうだと思う。何よりもまっさきに、なぜ私に謝り、そして私を保護してくれなかったのだろう。事件の最中でも、事件のあとでも、一度もそういう誠意を示してくれなかった」「西山記者は、(取材源である)私を保護してくれるどころか、警視庁の取調べにウソまでつくようにしむけた。私はワアッと泣いて、『刑事さん、ウソをついてごめんなさい』といった時の気持ちが、西山記者と毎日新聞にわかっていただけるだろうか」

 「さいわい、今日生きていられるのは、事件後、路頭に迷った私を坂田弁護士ご夫妻が救って下さったからだ。もっとも、昨年(昭和48年)暮、毎日新聞との間に示談ができて、ある金額の見舞金を頂いた。それはそれなりに感謝するけれども、よもや毎日新聞は、あのお金でもって、夫と私の口を封じようとは考えていないだろう。もし毎日新聞にそんな気持があったら、こんな身勝手な話はない。私もそれほど毎日新聞が卑劣だとは思いたくないし、だいいち、私たち夫婦にも『表現の権利』だってある」

 「私は夫に感謝している。事件が起ってからの夫は、病身にもかかわらず、私のカゲになり、日なたになって援助してくれた」「ところが、今度の公判中、毎日新聞側の弁護士が夫には耐えられない弁論を行なった。夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった。周囲の人、親戚の人が、夫の不甲斐なさを嘆く可能性が十分にあるからだ」

 「私は私の半生を孤独に生きるべく運命づけられた。しかし、これも私の人間としての弱さから出たことだと思って、あきらめざるを得ないのだろうか…」

・・・

ちなみに判例では「その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものであるかぎりは」正当な取材だって言ってる。そしてこれは有罪って判決。

(にもかかわらず最近になって西山記者は国賠請求訴訟してるんだよね、ほんとクズが。そして当時はマスコミも仕方なく西山記者を叩いてたのに最近はみんな忘れただろって西山記者擁護してるんだよね、ほんとクズが)

マスコミは国民の知る権利を損なうってまた同じく述べてるんだけど
なんでもかんでも国家機密が流れた方がよっぽど国益を損なうんじゃないかな。

権力から保障されるべき自由を濫用している新たな権力ができてるね。

もし、それが平然と肯定されているんだったらこれ以上に怖い事はないよね。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索