自由×規範

2006年3月26日 日常
「自由」ってのは意味がいくつかあって
「自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま」って意味と
「法律の範囲内で許容される随意の行為」ってのがあるんだよね。

始めのを完全な自由だとしたら
後のは制限された自由とでもいうのかな。
なんか制限された自由って形容矛盾っぽいけど。

宗教の自由って憲法にもしっかりきっちり書かれてるけど
その自由ってもちろん法律の範囲内の自由な訳だよね。

もともと宗教ってのは規範性が伴ってるからね。
それに自由を与えるって事は別の法理で生活をしていくと言うことだからね。

実際問題、何百年も前の宗教の規範性と多少は価値観の変化に合わせた法律とじゃ
どちらを肯定するべきかなんてのは言わずもがなでしょう。

例えば聖書じゃ割礼しろ!(創世記17章)って書いてるけど
どうですかね?いや、包茎手術はそれなりの人気ですけど。
それだけで「民の間から断たれる」ってね。
他にも膣外射精禁止とかね(38章)。

まあ包茎は衛生的に見れば良くないし
女の子だって立派wな方がいいだろうけど。
膣外射精禁止にしろ
そう規範して生殖の為だけにしろってのは
確かに立派と言えば立派だけどね。

あれ、なんか聖書いい事書いてるなw

でも、産めよ、増えよ、地に満ちよ。(9章)
ってのはね。確かに今の日本には必要かもしれないけど
発展途上国にやられたらこれ世界が崩壊するね。

当時は人口を増やす事が課題だったのだろうけど。

何もわからん人間に神の名を使う事によって
規範を強制できるってのはなかなか便利な統治だったとは思うよ。
そしてそのおかげである程度の規範が保たれてきたのは間違いないんだろうね。

それにしても性関連の記載多いですね。
それだけ規範すべき事柄であったのかもしれませんが。
知恵の木の実の話だって、自分は動物から知識を得た人間になる事によって
生きて行く為に生きる事ができなくなったいわば生物としての矛盾を
原罪って表してるのかと思ってたけどよく見たら全然違うんだよね。
知識って言っても善悪を知る実なんだよね。(規範性の制定だね)
知識を得た人間が最初に考える事はアイデンティティーじゃない?
なんで羞恥心なんだろ?って思ったけど
これは他に誰彼かまわず裸を見せるなって言う性に対しての規範なんだよね。
子供なんて裸でいることに全然羞恥心ないじゃん。
そのままじゃ危ないから裸は悪だって事にしたんでしょ。
次に出てくるのは孕みの苦しみはそのためだから我慢しろで次が働いて食べ物得ろだからね。
童話も実の所性に対する規範の隠喩であるってのも言われてますしね。
性関連の記載ってのはそれだけでどこか人を惹き付ける魔力があったというのもあるでしょう。

今でも各派で問題になってるのが同姓愛と中絶ですからね。
ちなみに、ホモは禁止(コリントの信徒への手紙1・6章など)と書いてあるように見えるんだけど、解釈によって良かったり悪かったりみたい。レズはいいっぽい。なんか男性的価値観だよね(自分もそうだけど)。中絶禁止の規定はないです。姦淫によって身篭った人を焼き殺してもいいと読める記載はあるし、(創世記38章)。また食糧不足の時には自分の子供を食べていいという記載もあるけど(申命記28章)直接的な表現は無いです。先の通り膣外射精は禁止されてますが。増やせとも言ってますが。当時に人工中絶って技術があまり無かったからでしょう。

しかし同じ規範から出発したのにも関わらず
どちらが正しいのか争いがあるなんて言うのはどうなんでしょう。

つまりはあくまで宗教の自由ってのは個人の価値観に留めるべき自由であるって事でしょう。

実際、憲法には宗教というより信仰(宗教を信仰すること)の自由って書いてあって
?いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
?何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
?国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
とどちらかと言えば宗教を強制されない自由、否定する自由なんだよね。
これは神道の天皇=神の反省から来てるんだろうけど。

と言ってもね、この宗教の人は大抵そんな事分かってる人だから
わざわざ言うほどでもないんですよ。だからこそ様々な派もできるてるわけで。

性から離れた規範で結構有名かなと思うのは「右の頬を打つなら」だね。
(本当に実戦する人は結構少なそうだけど)
そして、それは「目には目を」と思いっきり対立してる。

統治として考えれば
一般大衆は反抗しないってってのはそれはそれで結果的にいい事かもしれない。
そして、罪には罰という社会も秩序の維持にはいい事かもしれない。

でもね、なぜそうなのかは分からないけど
「目には目を」って何百年も前からさほど形を変える事も無くて
今でもそれそのものが法規として扱われてて
改宗だけで死刑とか、否定されただけで目の色変えるくらい怒り出したりとかしてる。

その事を考えると、宗教の自由って危険なのかな、と思う。
優しい女の子からえーそれひどくない?とか言われるかもしれないけど、
今あのタリバーンが魍魎跋扈してる国じゃ女子への教育は教えに反するって
女子校放火されまくりだそうですよ。

宗教は根本的に男尊女卑だからね。
それでもひどーいなんて言えるんですかね。

まぁ私は尽くす事が幸せです。それが女の子なんです。
なんて真に思ってる人だってちょこっとはいるでしょう。
その人はいいんですよ。
でもそう思わない人にまで宗教の名のもと、強制、断罪ってどうなんでしょう。

宗教を信じる人に取って法と聖書はどちらが重いものなんだろうね。
いや、宗教を信じてない人間だって
自分の信念に基づいて法の枠外の復讐権を使わざるを得ない事だってあるでしょう。
ただ、そのような時にそれは宗教の為にした人ってなんか、ね。
神に比べれば人って存在なんて無に等しく定義されるのだととしても。
本当にその人が宗教を信じていてそれがアイデンティティだったら言う言葉は無いけど。

ちなみに、あまり知識が無いから一概に括らせてもらうけど
仏教って規範性が薄いよね。
それは、聞いた話しだけど「生きたまま死んでいく宗教」だから。

それはそれで問題無さそうに思うけど
みんながみんなそうだとしたらそれは終わってしまうわけで。

あー、でも自分はそれでいいかな。

と言った所で実際そんなわけでもないですね。俗物ですから。

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