アスファルトに小石を叩き付ける。一瞬の火花を出して石は砕ける。
物体をどこまでも細かくしていくなんてことは
作業ではなく既に哲学的な話だよね。アキレスと亀のような。
それにクォークという終止符を突きつけられても
頭がからっぽの僕にはさっぱりなんの事だかわからない。
そのクォークに付けられた「色」や「におい」が、コード【識別符号】でしかないのに
空想する最小の単位はカラフルで芳香を放っている気がする。
カレンダーの日曜日は赤くても日曜日自体に色が付いているわけではない事は知っているのにさ。
そんなことを考えながら僕はそこそこ有名な店で欧風カレーを食べています。
欧風カレーなんてものはここでしか食べたことがないけど
タイやインドに比べれば日本のカレーに近い感じがします。
さらりとしているんではなくてもったりしたような。
人気店のそのカレーの値段はファーストフードとは比べるまでもなく
また店に入るまでに待たされる時間と注文から料理が出てくるまでの遅さも比べるまでもありません。
どうでもいいことですが着いて5分後には本日のお昼分は終了しましたという看板が出されました。
まだ1時過ぎくらいだったのに。
これこそがカレーだというのなら世の中にはカレーっぽいものが溢れているのかもしれません。
レトルトパウチの中にとか。出来合いのルーで作ったカレーなんぞ愛情が入っていても偽物かも。
それでもほとんど色で広義的にカレーを判断している僕には大した違いではないんです。
ビーフシチューはまろやかなカレーです。たぶん。
それでも確かにそのカレーは鮮烈で…
いやなんか1種類ミントっぽいスパイスが強すぎたんだけどね。
美味しいのには間違いなかったけど。
芳香を放つ米粒を咀嚼あるいは飲み下します。
おなかが減ったらご飯を食べる。ご飯を食べなきゃ飢えて死ぬ。
だとすれば、その境界が
このご飯1粒を食べなければ死ぬ場合があるのだろうかと。
それは、突き詰めていけば1粒ではなく1分子の境界なんでしょうか。
そんなギリギリとは遠い世界にいる僕なのですが
世界のどこかではそんな生死の淵の人達もいるのでしょう。
ちょっと汚い話ですが、いや、カレーの事も書いたのにね。
人間の排泄物には7割くらい栄養が残っているそうですよ。
それを豚の餌としか使っている所もあるらしいです。
だとすれば実際には人はかなり食べないでも耐えられるのかもしれません。
食べる量が減れば排出してしまうはずの栄養を出さないようにすれば。
そんな事ができるかどうかはわかりませんが。
呼気だって酸素がまだ十分に残っています。
ビニール袋に呼気だけを入れてもそれでしばらくは呼吸ができるでしょう。
やがて苦しくはなってきますが。
それはマージンのようなものでしょうから
生と死の境は、実は点ではなくて連続したものなのかもしれません。
段階的でグラデーションのような。
点だけで捕らえるならばアキレスはいつまでも亀に追いつけません。
連続した「状態」がアキレスを救うように。
遅刻しそうで慌てて家を出るとき
この1分1秒が結果を左右するような気がしても
電車の発車時間は決まっています。
その1分や2分早く着いても電車にのる時間は同じ。
あるいは赤信号で止まるなら数秒のずれは同じ結果に補正されます。
わずかな差で乗り遅れてしまったときは到着時刻が変わる時もありますが。
もうちょっと話を大きくするなら
ドラえもんじゃないんですけどね。
乗り物が違っても目的地に着くの同じ。
いや、ありえないとは思うんですけど
静ちゃんと結婚しようがジャイ子と結婚しようが
セワシは生まれるんですよ。
限りない細分化が果てを迎えようが迎えまいがそんな事は学問の信徒でなければ
大した意味をもたないのでしょう。
そして1分1秒を争うことに大して意味もない。
遅刻だって大局的には意味もないと言ってしまっちゃいますと
ああ、骨と皮だけの子が今日も挑むギリギリの勝負だって関心だってない。
その選択が世界を変えるとでも?
SFとかだと取りうる行動の数だけ世界があるなんて言われてるますね。
パラレル・ワールドの概念です。
ただ僕がそこで右足から踏みすか左足から踏みすかで世界がどう違うとでも?
ほぼどこも違わない世界が無数に存在するなんて無駄に複雑なだけで
そうさ、例えば僕がトチ狂って
隣人をぶっ殺したとしてもそれで世界が変わるとでも?
僕の友人にかなりの運命論者がいます。
ねえ、僕がこんなくだらない事を考えてるなんてのも
遺伝子のせいやどっかのなにかの因果のせいなんて事は思えないけど
結論としては大して違いがないんだ。
僕が君がどんな行動をとろうがそれは大して意味のないものに補正されるのでしょう。
一瞬だけの水面の波紋のように。
鈍器で獲物を獲る生活まで遡ってみると
こうして画面に向き合う生活では大きく変化があったようには見えるけどさ。
でももし、エジソンが実用的な電球を発明していなかった所で
それ別の誰かが発明しただけの話でしょう。
彼がスワンの名を貶めたようにね。
電話の発明者の名前がベルであろうがグレイであろうが
伝記の1冊が書き換わるくらいの差でしかないんでしょう。
声を上げて届かないわけじゃない。
届いても…
世界の始まりと終わりが特異点なら平行世界さえ収縮する。
この味も一時の感覚でしかないのに。
ファーストフードでもATPはできるのに。
たくさんのカレーの香気。
まだ感覚の残るスパイスの鮮烈さだけがリアルだった。
物体をどこまでも細かくしていくなんてことは
作業ではなく既に哲学的な話だよね。アキレスと亀のような。
それにクォークという終止符を突きつけられても
頭がからっぽの僕にはさっぱりなんの事だかわからない。
そのクォークに付けられた「色」や「におい」が、コード【識別符号】でしかないのに
空想する最小の単位はカラフルで芳香を放っている気がする。
カレンダーの日曜日は赤くても日曜日自体に色が付いているわけではない事は知っているのにさ。
そんなことを考えながら僕はそこそこ有名な店で欧風カレーを食べています。
欧風カレーなんてものはここでしか食べたことがないけど
タイやインドに比べれば日本のカレーに近い感じがします。
さらりとしているんではなくてもったりしたような。
人気店のそのカレーの値段はファーストフードとは比べるまでもなく
また店に入るまでに待たされる時間と注文から料理が出てくるまでの遅さも比べるまでもありません。
どうでもいいことですが着いて5分後には本日のお昼分は終了しましたという看板が出されました。
まだ1時過ぎくらいだったのに。
これこそがカレーだというのなら世の中にはカレーっぽいものが溢れているのかもしれません。
レトルトパウチの中にとか。出来合いのルーで作ったカレーなんぞ愛情が入っていても偽物かも。
それでもほとんど色で広義的にカレーを判断している僕には大した違いではないんです。
ビーフシチューはまろやかなカレーです。たぶん。
それでも確かにそのカレーは鮮烈で…
いやなんか1種類ミントっぽいスパイスが強すぎたんだけどね。
美味しいのには間違いなかったけど。
芳香を放つ米粒を咀嚼あるいは飲み下します。
おなかが減ったらご飯を食べる。ご飯を食べなきゃ飢えて死ぬ。
だとすれば、その境界が
このご飯1粒を食べなければ死ぬ場合があるのだろうかと。
それは、突き詰めていけば1粒ではなく1分子の境界なんでしょうか。
そんなギリギリとは遠い世界にいる僕なのですが
世界のどこかではそんな生死の淵の人達もいるのでしょう。
ちょっと汚い話ですが、いや、カレーの事も書いたのにね。
人間の排泄物には7割くらい栄養が残っているそうですよ。
それを豚の餌としか使っている所もあるらしいです。
だとすれば実際には人はかなり食べないでも耐えられるのかもしれません。
食べる量が減れば排出してしまうはずの栄養を出さないようにすれば。
そんな事ができるかどうかはわかりませんが。
呼気だって酸素がまだ十分に残っています。
ビニール袋に呼気だけを入れてもそれでしばらくは呼吸ができるでしょう。
やがて苦しくはなってきますが。
それはマージンのようなものでしょうから
生と死の境は、実は点ではなくて連続したものなのかもしれません。
段階的でグラデーションのような。
点だけで捕らえるならばアキレスはいつまでも亀に追いつけません。
連続した「状態」がアキレスを救うように。
遅刻しそうで慌てて家を出るとき
この1分1秒が結果を左右するような気がしても
電車の発車時間は決まっています。
その1分や2分早く着いても電車にのる時間は同じ。
あるいは赤信号で止まるなら数秒のずれは同じ結果に補正されます。
わずかな差で乗り遅れてしまったときは到着時刻が変わる時もありますが。
もうちょっと話を大きくするなら
ドラえもんじゃないんですけどね。
乗り物が違っても目的地に着くの同じ。
いや、ありえないとは思うんですけど
静ちゃんと結婚しようがジャイ子と結婚しようが
セワシは生まれるんですよ。
限りない細分化が果てを迎えようが迎えまいがそんな事は学問の信徒でなければ
大した意味をもたないのでしょう。
そして1分1秒を争うことに大して意味もない。
遅刻だって大局的には意味もないと言ってしまっちゃいますと
ああ、骨と皮だけの子が今日も挑むギリギリの勝負だって関心だってない。
その選択が世界を変えるとでも?
SFとかだと取りうる行動の数だけ世界があるなんて言われてるますね。
パラレル・ワールドの概念です。
ただ僕がそこで右足から踏みすか左足から踏みすかで世界がどう違うとでも?
ほぼどこも違わない世界が無数に存在するなんて無駄に複雑なだけで
そうさ、例えば僕がトチ狂って
隣人をぶっ殺したとしてもそれで世界が変わるとでも?
僕の友人にかなりの運命論者がいます。
ねえ、僕がこんなくだらない事を考えてるなんてのも
遺伝子のせいやどっかのなにかの因果のせいなんて事は思えないけど
結論としては大して違いがないんだ。
僕が君がどんな行動をとろうがそれは大して意味のないものに補正されるのでしょう。
一瞬だけの水面の波紋のように。
鈍器で獲物を獲る生活まで遡ってみると
こうして画面に向き合う生活では大きく変化があったようには見えるけどさ。
でももし、エジソンが実用的な電球を発明していなかった所で
それ別の誰かが発明しただけの話でしょう。
彼がスワンの名を貶めたようにね。
電話の発明者の名前がベルであろうがグレイであろうが
伝記の1冊が書き換わるくらいの差でしかないんでしょう。
声を上げて届かないわけじゃない。
届いても…
世界の始まりと終わりが特異点なら平行世界さえ収縮する。
この味も一時の感覚でしかないのに。
ファーストフードでもATPはできるのに。
たくさんのカレーの香気。
まだ感覚の残るスパイスの鮮烈さだけがリアルだった。
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